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2009/06/23.Tue

平成13年-春-(3)

 父親が働いていた病院を定年退職した日の夕食時、父親が母親に向かって「これまでやってこれたのは、おまえのおかげだ」と照れながら言った。

 このちょっとした感謝の言葉が、その後、家族でがんばっていくよりどころになったのかもしれない。


 父親が仕事を辞めるのとほぼ同時期に、俺の短期アルバイトの期間が終わり、自転車でハローワークに通って職探しを再開した。

 もともと働き口の少ない地方である上に、不景気なので、なかなか仕事が見つからなかった。

 コネのほうが見つかる可能性が高かったかもしれないが、離れて暮らしているうちに地元の親戚や友人とは疎遠になっていたし、父親にも病気のことを考えると頼れなかった。


 自分の車がないと就職もままならないということで、まず俺は車を買った。



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平成12年-夏~13年-春
2009/06/22.Mon

平成13年-春-(2)

 俺が父親の車を運転し、父親と母親を乗せて、最初の診察に行った。

 診察室に入ると、認知症に詳しい、この後主治医となる医師は、50歳くらいの男性で、おだやかに挨拶してくれた。

 俺は始めて会ったから当然、初対面の挨拶をしたが、会うのが2回目の母親も(平成12~13年-冬-(3) 参照)、父親の前では初めてこの医師に会ったように挨拶した。

 医師は、父親にいくつか質問した後、女性スタッフに指示して、別室で認知症のテストを受けさせた。

 診察室に残った俺と母親に医師は、父親は、50歳代のアルツハイマー(若年性アルツハイマー)の典型的な症状が出ており、2年くらいしたら身の回りのことができなくなる、と言った。

 また、「今から2年前くらいには、ある程度はっきり症状が出ていたと思う。その頃に来てくれていれば、これから始めるよりもいろいろ対処ができて、症状の進行を遅らせることができただろう」とも言った。


 一週間後、MRIと脳血流検査を受けるため、再び3人で病院を訪れた。
 父親は生まれて始めてのMRIに少し緊張していたが、無事に終了した。


 その二週間後、また3人で病院に行き、主治医にMRIと脳血流検査の結果を聞いた。

 脳の血流は正常だが、一部に萎縮が見られるとのことだった。俺と母親は、やっぱりと思いながらもショックを受けた。

 その後、父親の心情に配慮してか、病気についてやや遠まわしな主治医の説明が続き、一応告知されたということだったのだろう。
 父親は、説明が少し回りくどかったせいか、自分の病気についてそれなりに受け止めているようでもあり、完全に理解できていないようでもあった。

 病気の進行を遅らせるアリセプトという薬を処方された。

 生活上の注意についても何点か説明があった。
 車の運転に不安はあるが、今の状態で、この薬を飲んでいれば、しばらくは運転しても大丈夫だろう。
 タバコは吸わないので、それはそのままでよい。
 酒は飲まないほうがよい。

 酒についてどうするか考えなければならなかったが、俺もほとんど飲まなかったので、家では飲まないことになり、父親が外で酒を飲むイベントに誘われたら、この病気のこともあり、なるべく断るようになった(認知症のことは言わないが)。


 その後、だいたい毎月1回、家族3人で病院に診察を受けに行くことになる。

 主治医が、父親に(認知症の進行度を判断するための)質問やテストをして、本人と俺と母親に、父親の生活状態について聞き、次の診察日までの薬を処方する、というのがだいたいの内容だ。


 主治医のアドバイスもあり、父親に日記を書くことを勧めたりしたが、書けない漢字が出てくると止まってしまい、それがストレスになってしまうようなので、無理には続けさせられなかった。


 しばらくの間は、診察の際の質問や、普段の生活で漢字を書けなくなっていくこと等から、少しずつ記憶力が衰えていくことはわかったが、日常生活に特に支障はなかったので、俺も母親も、いずれ大変になることは覚悟しながらも、さほど深刻には考えずに父親の様子を見ながら過ごした。


 この時期に俺が父親の主治医に、父親の認知症が進んで様々な介護が必要になった時のために、今のうちから準備しておいた方が良いことはないか尋ねたところ…

 「若年性アルツハイマーにも介護保険のサービスが使えるから、その時になってからでも大丈夫でしょう」という返事だった。

 この言葉を俺は、「若年性アルツハイマーの父親に合うという意味で“使える”介護保険サービスが、この地域にある」と解釈し、安心してしまった。



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平成12年-夏~13年-春
2009/06/21.Sun

平成13年-春-(1)

 (父親の職場の)病院を辞める約1ヶ月前の休日に、父親が机周りの整理に行くと言うので、俺も手伝うと言ってついて行った。
 父親の作業は何度も止まった。


 それらが一段落した頃、俺と母親は、父親に(認知症を診てもらう)病院に行ってもらうための説得を始めた。

 母親と弟が認知症に詳しい医師(平成12~13年-冬-(3) 参照)に聞いてきたアドバイスを参考にして、俺と母親が父親に、「作業の順序がわからなくなったり物忘れしたりするのは、ひょっとしたら病気が原因かもしれないので、念のために病院で検査を受けてほしい」と言って説得した。

 「ひょっとしたら」と「かもしれない」と「念のために」を少し強調した。


 最初は、父親に「どうしてそんな必要がある?」とムッとされ、なすすべがなかったが、機会をみて何度も説得し続け、ようやく「俎板の上の鯉になるか」と言って受診してくれることになった。



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平成12年-夏~13年-春
2009/06/20.Sat

平成12~13年-冬-(3)

 父親の職場の人が来宅した日から数日後、母親の体調が悪いので弟に母親を車で病院に連れて行ってもらう、と父親に嘘をつき、母親と弟に、(先日来宅した父親の職場の人に)紹介された認知症に詳しい医師のところに行って父親の状況を話してもらった。


 俺は父親と留守番していたが、こういう役割分担になったのは、次のような事情からだ。

 当時の俺は体調がよかったので、俺が病院に行くと言うと父親に怪しまれるかもしれないと思った。

 母親が、免許を持っていなくて自分で(家にある唯一の父親の)車を運転して行けず、バスで行くのも大変で、弟に弟の自家用車で母親を病院に連れて行ってもらうほうがよい。

 弟にも状況の把握だけはしておいてほしいと思った。


 このような状況の中、俺は、自分と父親の両方の確定(還付)申告をした。

 少しでもお金が戻ってくるのは助かると思ったからだが、翌年からもずっと申告し続けることになり、還付金は大切な収入(?)になっていく。



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平成12年-夏~13年-春
2009/06/19.Fri

平成12~13年-冬-(2)

 父親は、春になればそれまで働いていた病院を定年で辞めることになっていた。


 ある日、父親が職場にいる間、その病院の要職にある医師と事務の幹部職員(2人とも50代くらいの男性)が家にやってきた。
 俺と母親が応対したが、その話を聞いて驚いた。


 俺の父親が、認知症(当時の呼名は痴呆症)の可能性があるというのである。

 それまでの父親の状況から納得できる部分もあったが、当然、俺と母親は、なぜもっと早く言ってくれなかったのか、もっと早く病院のほうで対処してくれなかったのか、問い質した。

 医師と幹部職員の答えは、「以前から少し変だとは思っていたが、認知症に詳しい医師がいなかったのでよくわからなかった、対処できなかった」というものだった。

 2人は、認知症に詳しい医師のいる、家からそう遠くない病院と診療科の名前と、父親のことを心配しているようなことを言うと、帰っていった。


 俺はショックを受けながらも、いろいろな疑問が浮かんだ。

 なぜ、最初に変だと思った時点で対応(少なくとも家族に言うくらいのこと)をしてくれなかったのか?

 それなりに大きな総合病院なのに、本当に、認知症を知る、少なくとも父親の様子を見て病気かもしれないと思ってくれる医師がいなかったのか?

 行くように勧められた病院が比較的近くなのは助かるが、なぜ父親が働いていた病院と同じ系列の、認知症に詳しい医師が間違いなくいる病院ではないのか?
 その方が父親の職場での様子を直接伝えられるはずなのに。

 今頃になって教えに来たのは、病院の医師・スタッフとしての最低限の良心からか、後で何か言われない(自己保身の)ために最低限のことはしておこうと考えたのか、それとも事なかれ主義か? 

 俺は、なんとか気を取り直し、これからのことを考えようと、俺以上のショックを受けただろう母親に言葉を選びながら声をかけ、今後のことを相談し始めた。


 だいぶ後になって考えたことだが、俺の父親のことを伝えに来た2人に対し、「これから適切な治療を受けるため、父(の認知症)を診てもらうことになる医師に伝えたいから、父の職場での、認知症とかかわりがあったと思われる出来事や様子を教えてください。できれば文書で」と言えばよかったのではないか。

 俺がそう言った時の2人の反応や態度、回答や文書の内容で、俺の疑問のいくつかは解消できたのではないか。



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平成12年-夏~13年-春
2009/06/18.Thu

平成12~13年-冬-(1)

 俺は、ハローワークで、運よく歩いて通える近所の短期アルバイトをみつけ、とりあえずそこで働き始めた。


 秋に受けた国家資格試験の合格発表があり、合格していた。
 父親も喜んでくれた。


 ある休日、父親が、毎週行っていた趣味の教室に行くと言って家を出てしばらくすると、困った顔をしながら家に帰ってきた。
 いつも通っている道路が工事中で、教室に行けなくなってしまったと言うのだ。

 俺と母親で相談し、無理に行かせると悪いような感じがしたし、もともとつきあいで通っていた教室で、家から遠く、そろそろ辞めさせてもいいかと思っていたこともあり、その日は体調が悪いということで休み、そのまま退会することにした。
 退会の旨を教室の先生に伝えたところ、あっさり了承された。


 母親によると、以前、同じ(度数の)老眼鏡をたくさん買ってしまうなど、それまでわかっていたことがわからなくなる、変化に対応できないといったことが父親にあったが、病院で働いているのだから、病気だとしたら勤め先で対処してくれるだろうと思っていたという。

 俺が以前から家にいたとしても、同じことを考えただろう。



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平成12年-夏~13年-春
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