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2011/04/07.Thu

これまで、これから 4-(2)

 俺が東京から実家に戻って来たのが平成12年(2000年)の夏で(平成12年-夏 参照)、今は平成22年(2010年)の夏になろうとしているから、もう10年経つわけだ。


 今になって思い出すこともある。

 俺が実家に戻った頃、母親や弟によるとそれ以前から、父親は何度も「頭が空回りしている」と言っていた。

 この言葉が、父親がすでに若年性アルツハイマーになっていたことを示す手がかりだったと思う。

 しかし家族は、父親は事務職とはいえ病院で働いているのだから、病気だったら、病気の可能性が少しでもあったら、勤め先の病院から何か言ってくるだろうと思い、たいして気に留めなかった。

 俺は、このことは父親に対して本当に申し訳なかったと、ずっと思っている。

 勤め先の病院は、だいぶ前から父親は精神的な病気だと思っていた、少なくとも病気かもしれないと思っていたのに、父親がその病院を定年退職する直前まで、本人にも家族にも、何も伝えなかった…


 10年間を振り返って一番感じたのは、今も感じていることだが、やはり、現実の社会で若年性アルツハイマーの人と共に生きることの「厳しさ」だ。

 若年性アルツハイマーや若年性認知症をテーマにした映画やドラマがあるものの、現実は、映画やドラマのように美しい話にはならない。

 夫婦愛や家族愛があればなんとかなる、というものでもない。

 得るものはあったが、失ったもの・介護がなかったら手に入れられたのにかなわなかった(ささやかな)もののほうが、はるかに多い。

 理解してくれる人・助けてくれる人はいたが、助けてくれない人・理解しようとすらしてくれない人のほうが、ずっと多かった。

 理解してくれない人が多いことは、当然、法や制度の不備、役所の対応の遅さ・冷たさにも現れた。

 苦しんでいるところに追い討ちをかけてくる人さえいた。


 それなのに、俺はなぜ、10年間も、若年性アルツハイマーの父親と共に生きてきたのだろう。

 そんなことを考えたり悩んだりしている間もなく、父親にかかわる様々なことに追われるままに過ごしてきた、というのが実情だ。

 ただ、「できること、できそうなことはやろう」とは思っていた気がする。



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これまで、これから 4
2011/04/06.Wed

これまで、これから 4-(1)

 昨年(平成21年、2009年)の秋以降は、その少し前の介護保険の改正(改悪)がボディーブローのように効いてきた時期、と言えるだろう(平成21年-夏-(55)-(56) 参照)。


 俺はこれまでに、「がんばりすぎるな」、「無理しすぎるな」、「介護する側がつぶれたらどうしようもない」などと人から言われることが、何度かあった。

 その度に俺は、次のように言い返したい、問い返したいのを我慢していた。

 「俺の大変さが、本当にわかっているのか?」

 「俺に、具体的にどうしろと言うんだ? 今より手を抜いても問題ない、大丈夫という根拠は何だ?」

 要介護度が実情、介護の大変さに合わせて(今より重く)認定され、今よりも多く介護保険のサービスを介護保険の限度額内で受けられるようにならない限り、家族が父親に対して介護を減らす、手を抜くことは、絶対にできない。

 我が家の経済的な事情で、今の要介護度ではこれ以上介護サービスを増やせないし、また、家族の介護を減らした途端に怪我や誤嚥、精神症状の悪化などのリスクが急激に高まることは間違いないから。

 「多量の(あるいは強い)薬や寝かせきりで寝たきりにしろ、とでも言うのか?」

 「“介護する側がつぶれたらどうしようもない”という言葉が人々の口から出ないようにするために、介護保険などの制度ができたのではないか?」

 我慢していたというより、あきらめていた。

 良い回答・返事は期待できないから…


 「センター方式」という認知症の本人を中心に考えて介護する、という方法があるようだ。

 一方で、介護者は、「まず自分自身のことを第一に考え、介護は余裕のある部分でやればよい」という人がいる。

 しかし、「認知症の本人本位で介護したら、介護者が自分自身のことを第一に考える余裕はない」、あるいは、「介護者が自分自身のことを第一に考えたら、認知症の人を本人本位で介護することはできない」という場合は、どうすればいいのだろうか?



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