FC2ブログ
2011/10/11.Tue

平成22~23年-冬-(32)

 4泊5日ショートステイから帰宅した翌日、父親はデイサービスがあった。

 父親は朝食後のトイレで、介助していた俺に激しく抵抗した。怒り、暴れたと言ってもおかしくないくらいだった。

 俺は、父親の身体がトイレの壁などに激突するのをなんとか防いだ(つもりだった)。
 この際に、俺は腕を痛めたようだ。

 9:30頃、デイサービスの送迎車が家に来て、父親を送り出した。

 父親のデイサービス中、俺は、明日の精神病院への通院に備え、父親の着替えや替えリハビリパンツなどを用意したり、車椅子を福祉車両の自家用車に積んだりした。

 日中の陽射しがある時は、わりと暖かく、春が来たことを感じられるようになった。

 夕方、父親がデイサービスから帰宅した際、送迎スタッフさんから、父親の腕に擦り傷があったという話を聞いた。
 朝に家のトイレで暴れた際、壁にこすったのだろう。

 父親は、帰宅後も強い抵抗があり、何度もうなった。


 この時期、この日までの俺は、メマンチン(メマリー)を父親に飲んでもらうようになった後にどんな変化が起こるかにもよるが、今年の夏の介護保険更新時期まで、基本的には同じような生活が続いていく、厳しいがなんとか続けられる、と思っていた。

 最近の強い抵抗や大きいうなり声は気になるが、晩秋、初冬頃の父親の様子(平成22~23年-冬-(3) 参照)を思い出すと、春になれば少し状態が良くなることを期待できたから…

平成22~23年-冬
2011/10/10.Mon

平成22~23年-冬-(31)

 家で往診があった翌日から、父親は4泊5日のショートステイだった。

 朝食前、俺がいつものように父親に目薬を点眼したら、普段と同じようにやったのに、この時は父親に強く怒られた。
 理由がわからない。深く考えないほうが良いのかもしれないが…

 朝食後のトイレでは、だいぶ前からあることだが、俺が父親を便座に何度座らせてもすぐ立ち上がり、なぜか最近多い、立ち上がっている時の排尿が始まってしまい、今回は大きな紙コップで尿を受けることができた。

 9:30頃、ショートステイの送迎車が家に来て、父親を送り出した。


 父親のショートステイ中、俺は、先日の往診の際に父親に処方された薬を薬局に行って受け取ったり、母親と一緒に、特養(特別養護老人ホーム)に入所している祖母に会いに行ったりした。

 祖母は入浴直後で、スッキリした感じだが、入浴で疲れたのか反応が鈍かった。
 ゆっくり休んでもらうほうが良さそうなので、この日は早々に面会を終わらせた。


 ここ数日あった俺の首と腰の痛みは、だいぶひいた。

 母親とスーパーへ買い物に行った時には、やや強い地震があった。


 父親の4泊5日ショートステイの5日目、俺は朝に下痢と強い腹痛があり、徐々におちついていったが、下痢によってスタミナ・体力が奪われた。
 この日の夕方、父親がショートステイから帰宅した時、俺の身体の状態はいつもより悪かった。

 送迎スタッフさんからは、今回のショートステイ中の俺の父親は、演歌や歌謡曲が流れる浴室で気持ちよさそうに入浴したり、夜は良く眠っていたりという良い話があった。

 しかし、(全介助の)歯磨きの際に口をなかなか開けてくれなかったり、毎食時前に不穏になって食べ始めは食べ物に立ち向かっていったり、夕方には必ず歩き回ったりしたことも伝えられた。

平成22~23年-冬
2011/10/08.Sat

平成22~23年-冬-(30)

 一日中家にいた翌日の父親は、デイサービスがあった。

 俺は、いつものように6:00頃には居間に行ったら、母親は起きていて、次に介護ベッドの父親の様子を見たが、まだよく眠っているようなので、自分のことを先に済まそうと洗面所に行っていたら、急に母親に呼ばれた。

 俺は、(腰のヘルニアの悪化を防ぐための)腰ベルトを巻きながら急いで居間に戻ると、父親は手を震わせ、うなりながら、ベッドから自分で身体を起そうとしていた。

 起そうとするところまではいっても、起きることはできない父親の身体を俺は急いで支え、介助してベッド端に座らせるところまで動かした。

 その後は、いつもの朝のように過ごすことができた。

 父親のデイサービス中、俺と母親は、父親をデイサービスに送り出した今朝までの疲れを少しでも取るため、そして、今夕の父親がデイサービスから帰宅して以降、明後日のショートステイに送り出すまでの大変な介護生活に備え、外出は最低限の買い物だけにして、後は家でなるべく身体を休めるようにした。

 夕方にデイサービスから帰宅した父親は、夕食時、おちつきがなく、強い抵抗とうなりがあり、食事の終わり頃には椅子から何度も立ち上がった。


 デイサービスがあった翌日の父親は、デイサービスもショートステイもなく、一日中家にいて、午後には(主に内科の)往診があった。

 この日もうなりや抵抗が強かったが、往診の時は、わりとおちついていて、聴診器や血圧などの測定の他に、皮膚の問題があるところも診てもらえた。
 新しく塗り薬が出されることになった。

 この往診の際にあった、先日俺が父親のリハビリについて相談したこと(平成22~23年-冬-(28) 参照)に対しての先生の返事は、「リハビリのための診断や指示はできない」というものだった。

 理由は、やはり専門分野ではないし、また、俺の父親の関節の拘縮などについて、それらが出てくる前の身体の状態と、どのように進行したかを知らないから、ということらしい。

 先生と一緒に来ていた看護師さん(俺が先日相談した人)からは、次のような話があった。

 今年の夏の、俺の父親の介護保険更新時に要介護度が正しく調査・判定されて、今の3から4か5になれば、介護保険の限度額内で訪問看護(訪問リハビリ)が受けられるようになるだろう。

 そうなった後に、訪問看護(訪問リハビリ)ステーションを通して、(誰か他の医師に)リハビリのための診断や指示を出してもらえば良いと思う。


 俺も、そうなれば一番良いような気もするが、今年の夏に要介護度が4か5になる保証はない…

平成22~23年-冬
2011/10/05.Wed

平成22~23年-冬-(29)

 ショートステイから帰ってきた翌日の父親は、デイサービスもショートステイもなく、一日中家にいた。

 この日の父親は、歩き回りなどに加えて、トイレでの介護抵抗が、いつもよりずっと強かった。

 俺が父親を便座に座らせてもすぐ立ち上がってしまうのはいつものことだが、今日は腕による抵抗もあり、それらの力がかなり強かった。


 朝食後のトイレでは、それに加えて、立ち上がっている時に排尿を始めてしまったが、この時は、大きな紙コップで受けることができた。
 先日、同じようなことがあった時は紙コップで受けられず、父親の服やトイレの床などを汚してしまっていた。

 トイレの最後のほうでは、俺は父親に怒鳴られた。トイレにいる時間が長くなりすぎたか?


 午後、母親は昼寝した。
 母親は、父親が家にいても昼寝をするので、その間一人で介護する俺は、きつい。

 しかし俺は、母親に昼寝をしないでほしい、とは言えない。

 最近、家での夜の父親は、介護ベッドに寝かせてからは、深夜や早朝に様子がおかしくなったり目を覚ましたり、ということは少なくなった。
 しかし時折はあるので、母親は、それに備える意味もあって同じ部屋の布団で寝ている。

 父親は、完全に眠っていない時は手が震えて布団(掛け布団のカバー)がこすられてその音が居間全体に響き、眠っている時はイビキをかく、ということが多い。

 俺が深夜や早朝に居間の近くに行くことがあると、父親のその布団をこする音やイビキが聞こえることが多く、それで母親が夜によく眠れない傾向にあるのは、母親自身にそう言われる前から、俺は想像がついていた。

 手が震えても布団にこすれないよう、母親が父親の腕を布団の中に入れるなどしても、腕関節の拘縮のせいもあって、いつの間にか、布団に触れる場所に手が戻ってしまう。

 イビキ対策について、今の父親には、枕の高さを調節するくらいしかできず、俺は試行錯誤してきたのだが、もう今以上の対応はできない。

 父親が家にいる間、母親は、このように夜あまり眠れない上に、もともと心身共にまいっていて、眠気の副作用がある(心療内科の)薬も飲んでいるから、父親が家にいても母親が昼寝してしまい、その間俺が一人で介護するようになってしまうことは、やむをえないと俺は思う。

 深夜や早朝の俺は自分の部屋にいて、父親の様子がおかしくなったり目を覚ましたりすると母親に呼ばれて対応するが、それがなくて、父親の記録(日記)つけやデイサービス・ショートステイの準備、自分の勉強などが一段落すれば、俺は眠っていることができるから。

 とはいえ、父親が家にいて起きている間の介護はきつく、父親が夜寝た(父親を夜寝かせた)後から朝起きる(起す)前までの間は、父親に異変が起きなくても、父親にかかわる準備などに結構時間がかかったり、心身ともにまいっていてなかなか寝つけなかったりして睡眠時間が短くなることが多いので、俺も正直つらいのだが。

平成22~23年-冬
2011/10/04.Tue

平成22~23年-冬-(28)

 一日中家にいた翌日から、父親は、今回は今月の介護保険(要介護度3)の限度額を大きく超えないように、いつもの4泊5日ではなく、一泊少ない3泊4日のショートステイだった。


 父親のショートステイ中、俺自身の身体の問題で、父親が往診を受けている医師の内科医院へ、外来をしている時間に行ってきた。

 俺のことは、これまでの薬を飲み続けるように言われて終わったが、父親の現状などについて少し話すと、その先生は看護師さんに言って、その看護師さんが、別室で俺の話をしっかり聞いてくれた。

 主に、父親の身体の傾きや関節の拘縮、パーキンソン(と同様の)症状を改善するためのリハビリについて相談した。

 父親のリハビリは、デイサービスおよびショートステイで、医師のちゃんとした診断や指示がなく、何か問題が起きたら家族が全責任を負う、というイレギュラーな形で続いている(平成22年-夏-(29) 参照)。

 リハビリについての医師の診断や指示は、かならずしも整形外科医のものでなくてよい、という話を俺は聞いていた。

 ここの医師と看護師さんは、昨年秋から俺の父親を診ているので、父親の身体のことを、もうだいぶ分かってくれただろうと思い、俺は、これまでのリハビリの事情を話した上で、リハビリを受けるための医師の診断あるいは指示を出してほしい、と頼んだところ、次回の往診の際に返事をもらえることになった。


 このショートステイ期間中に、先日父親の入所申込をした特養(特別養護老人ホーム)から、家に手紙が届いた(平成22~23年-冬-(20) 参照)。
 入所判定の通知で、父親がその特養に入所できることは当分ない、という内容だった。

 俺も母親も、がっかりした。


 3泊4日ショートステイ4日目の夕方、父親は予定通り帰宅した。
 このショートステイ中は、わりと穏やかで、特に興奮することはなかったそうだが…

 夕方、俺の手引き介助で歩き回っていた父親を、居間の椅子に座らせた際、はずみで、俺の指が爪を立てるような形で父親の手の甲に(そんなに強くではないのだが)当たったら、父親はいきなり激しく怒った。

 父親は失語症状があり、怒りを言葉で表現できないので、父親の「怒る」とは、「険しい表情をしたり、大きなうなり声を上げたりする」ということだ。

 俺としては、「この程度のことで、どうしてそこまで激しく怒る?」と思ったものの、それを口や表情に出しても仕方がないし、そんなことをすれば事態はかえって悪化する。

 俺は父親に何度も謝った。
 しばらくして、父親は少しおちついた。

平成22~23年-冬
2011/10/03.Mon

平成22~23年-冬-(27)

 ショートステイから帰宅した翌日の父親は、デイサービスがあった。

 父親は、夜はよく眠っていてくれたのだが、早朝に目が覚めてしまい(最近こういうことは少なくなっていた)、介護ベッド上でうなり、自分で上半身を起そうとした。

 父親と同じ居間で寝ていた母親に呼ばれ、俺は自分の部屋から、腰ベルトを巻きながら急いで居間に行った。

 父親は筋力が落ちてきていて、関節の拘縮や骨格の歪みもあるし、起き方もわからなくなってしまったから、自分一人では起きられず、身体を痛めそうな非常に無理のある姿勢になっていた。

 微妙な時刻で、もう一度ベッドに寝かせる対応をすべきか、いつもの起床時のように起して着替えさせ、椅子に座らせコタツにあたらせるべきか、俺は迷った。
 
 もう一度ベッドに寝かせて熟睡してしまったら、デイサービスに間に合うように起こし直すのが大変だと考え、後者にした。

 母親と協力し、父親のオムツ交換や着替えを済ませ、コタツにあたらせたら、父親はしばらくの間、座ったままウトウトしていた。
 その間に俺と母親は、自分の着替えや、父親の朝の介護の準備をした。

 父親のデイサービス中に俺と母親は、早朝に眠れなかった分を昼寝で少しは補った。

 夕方、デイサービスから帰宅した際、父親はうなり、その後も何度かうなり声をあげ、介護抵抗も強かった。

 夜、父親をベッドに寝かせた時、掛け布団の枚数を、昨夜までより一枚少なくした。
 明朝は寒さがやわらぎそうな天気予報だったからで、少しずつだが春が近づいているということなのだろう。


 デイサービスの翌日の父親は、デイサービスもショートステイもなく、一日中家にいた。

 朝、父親を介護ベッドから起そうとした時、父親は「ダメだ」と言い、その後のオムツ交換では、抵抗が強く、俺のアゴを爪を立ててつかんだ。

 昼頃までの父親は、わりとおちついている、というか眠そうだったが、その反動なのか、夕方以降のうなり、歩き回りがひどかった。

平成22~23年-冬
 | HOME | Next »