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2009/06/27.Sat

平成14年-春-(2)

 父親は、書けない漢字が出てきた。

 書けても、まっすぐにならず斜めになり、やがて、書くのがいやになってやめてしまう。


 父親は、認知症(若年性アルツハイマー)の定期通院のなかで、2回目のMRI、脳血流検査を受けた。

  MRIの結果は、海馬を中心に少し萎縮が見られるとのことで、(前回は正常だった)脳血流は、少しだが悪くなっているという結果だった。

 今後は年1回のペースで、MRI、脳血流検査を受けていくことになった。



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平成13年-夏~14年-春
2009/06/26.Fri

平成14年-春-(1)

 父親が勤め先から家に帰ってくると、開口一番、駐車場で接触事故を起こしたと言った。

 何があったのか俺が聞くと、駐車場の自分の(職場に指定されている)駐車スペースに入る際に接触され、相手の車が逃げていった、後は何もわからない、という父親の答え。

 俺が家の玄関先に出て父親の車を見ると、ドア部分に少しキズがあり、相手の車が逃げていったという父親の話からも、父親が一方的にぶつけられたことは間違いなさそうで、本人の身体はなんともないし、車のキズもたいしたことなかったので、それはよかった。

 しかし、何があったか、相手の車がどんな車か等、詳しいことが何もわからない、覚えていないということが問題だった。


 俺の職場が父親の職場と同じ方向だったので、この後、父親の調子がよくない日は、俺が自分の車で送り迎えすることにした。

 朝はまだよかったが、帰りに父親の帰宅時間に合わせなければいけないので、俺が(俺の)職場の人たちに迷惑をかけることになってしまった。


 バスは本数が少ないうえに時間通りでないことも多く、また、父親がバスに乗ることも難しいと思われた。

 認知症(若年性アルツハイマー)と診断される以前の時期に、父親がバスで帰ってきた際、家から一番近い停留所ではなく、その一つか二つ前の停留所で降りて、そこから家まで歩いてくることが数回あって…

 当時は運動になっていいなどと考えていたが、今にして思えば認知症の症状だったのだろう。



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平成13年-夏~14年-春
2009/06/26.Fri

平成13~14年-冬

 父親は、年賀状をどうしてよいかわからなくなり、混乱した。

 誰に出して、誰に出さないかだけ判断してほしいと俺は頼んだが、父親はそれもできなかった。

 俺と母親で、父親の年賀状をどうするか相談し、結局、親戚など特定の人々以外は父親宛の年賀状が届いた人にだけ(後から)出し、それも年を追って徐々に減らしていくことにした。

 父親の分の年賀状は俺が全部作ったが、来年からも全部俺がやることになるだろう。


 父親は、仕事のスケジュールがわからなくなって混乱し、「仕事を辞めたい」と言うこともあった。
 この時は、すぐにおちついたが…



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平成13年-夏~14年-春
2009/06/26.Fri

平成13年-秋-(2)

 父親が健康診断を受けた。

 職場で指示された人間ドックで、受ける病院を選ぶことができたので、俺と母親は、認知症(若年性アルツハイマー)で通院している病院にするよう父親に勧めて、父親は聞き入れてくれた。

 もちろん、父親に勧めた時は、「認知症で通院している病院」などとは言わずに、「月1回通っている病院」と家族は言った。


 父親は、検便に必要な採便を家のトイレでした時、一人ではうまくできず、俺の母親が手伝った。

 1泊2日のはずが、1日目の夕方にタクシーで家に帰ってきた。
 いっしょに受けた人たちについていけなくて仕方なく帰ってもらった、と担当の看護師から後で聞いた。

 翌日、俺が父親を送迎し、特別に1人だけ残りの検査をしてもらい、なんとか終わった。
 認知症で通院している病院だから、ここまで配慮してもらえたのだろうと思う。


 後日にわかった検査結果では、目と一部の内臓でひっかかったものの、再検査では特に問題なく、念のための定期検査をその病院で数ヶ月おきに受けることになった。



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平成13年-夏~14年-春
2009/06/24.Wed

平成13年-秋-(1)

 父親は、半年くらい前から俺と同じA社の携帯電話を持っていたのだが、ある日、B社の携帯電話を家に持ってきた。

 父親は職場で持たされたと言ったが、携帯電話機代も使用料金も父親もちで、引落し用の銀行口座まで、父親がよくわからないうちにつくられていた。


 「同じ職場の人とB社の携帯電話どうしでやりとりすることが多くなり、同じ携帯電話会社どうしだと通話料金を安くできるので持たされた」と俺は思い、仕方なく、それまで父親が持っていたA社の携帯電話を解約した。


 しかし、その後父親がこの職場を辞めるまで、新しいB社の携帯で職場の人のB社の携帯と連絡しあったことは数回しかなく、俺のA社の携帯と連絡をとりあった回数のほうがずっと多かった。



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平成13年-夏~14年-春
2009/06/24.Wed

平成13年-夏

 父親の再就職が決まった。

 父親の学生時代の友人の1人が地元の有力者になっていて、父親は、認知症(若年性アルツハイマー)であることがはっきりする前に、病院を辞めた後のことをその人に相談していた。

 俺の父親の認知症を知らない(はずの)その人がいろいろ働きかけてくれて、父親はある団体に理事として勤めることになった。


 俺は当然、父親の病気を考えて悩んだ。

 しかし、この理事というのは1年ごとに更新(再任)され、基本的に平日は通勤しなければならないものの、団体のトップである理事長がたいていのことは決めてしまい、ほとんどの実務は職員が受け持つので、父親が理事になっても重要な判断を迫られることや細かい作業をすることはない、ということを人づてに聞いて、大丈夫かもしれないと思った。


 父親の認知症の主治医も「本人がいやと言わず、さほど精神的な負担にならない仕事であれば、1年くらいやらせてもいいのでは」と言ってくれたし、自分から進んで取り組む趣味もなく、仕事以外の友達も少なく、ほとんど仕事だけが生きがいだった父親には少しでも長く働いてもらうほうがいいだろうと俺も母親も思った。


 何より、父親がそれなりの額の年金を受け取れるようになるのは、しばらく先だし、こちらで正社員として働き始めようとしている俺の給料が主な収入という形になったら、家計が心もとない。


 俺は春から何度もハローワークに通って、ようやく、正社員として長期間働ける仕事が決まった。

 しばらくして、ほぼ同時期に俺はその就職先の会社で、父親は再就職先の団体で働き始めた。
 父親は約3ヶ月ぶりの、俺は生まれて初めてのマイカー通勤だ。



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平成13年-夏~14年-春
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