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2012/05/02.Wed

これまで、これから6-(3)

 この夏の、若年性認知症の学習会(平成23年-夏-(45) 参照)であった、ある出来事について詳しく述べておきたい。


 学習会が始まる前、参加者の一人が隣席の人に、東日本大震災について話していた。

 被災地(ここから少し離れたところにある、甚大な被害が出た地域を指すようだ)では、(老年性)認知症が悪化している人が多いそうだ。

 住むところを失って避難所や仮設住宅に移る、失わずに済んでも、この地域よりずっと長い期間ライフラインが止まったり物資が不足したりといった、「急な、大きな環境の変化(に伴う大きなストレス)」が主な原因らしい。

 やはり、「急な、大きな環境の変化」は、認知症を悪化させる大変なリスクだ。

 同じ部屋のやや離れた席にいる俺に聞こえてきたのは、このような内容の話と、被災地の老年性認知症の人々を思いやる言葉だった。


 学習会が始まると、この会の主催者からいくつか報告があった。

 この地域の若年性認知症の人の数や現状は、まだしっかり把握できていない。

 しかし、軽度・初期でも混乱や問題行動や強く出ていたり目が離せなかったりで、家族だけでは支えきれないように見える人が複数名いることは、わかっている。

 この地域に若年性認知症の人専門の(介護)施設は(まだ)無いが、高齢者施設では、若年性認知症の人を受け入れられる、受け入れても良いというところが増えてきている。

 とはいえ、そのようなところには、軽度・初期でも家族だけでは支えきれない若年性認知症なのに、その本人は行きたがらず、家族も行かせようとしない傾向が強い。


 そこまで聞いた俺は、当然だろうと思った。

 軽度・初期の若年性認知症ということは、最近まで現役で働いていた60代前半までの人がほとんどのはずだから、主に80代、90代の高齢者ばかりの高齢者施設に行ってその人たちと過ごすことに、本人も家族も抵抗を感じるのはあたりまえだ。

 また、若年性認知症の人を受け入れ可能ということは、若年性認知症を充分に理解して万全の(個別)対応・配慮をしてくれることと必ずしもイコールではないだろうし、それに…


 ここで、学習会の前に被災地の老年性認知症について話していた参加者が、「なぜ、若年性認知症の本人が、そういう施設に行こうとしないのか、家族が行かせたくないのか、全く理解できない」という発言をした。

 俺は、「この参加者の思考回路は、どうなっているんだ?」と思った。

 最近まで現役で働いていた60代前半までの若年性認知症の人にとって、主に80代、90代の高齢者ばかりの高齢者施設に行ってその人たちと過ごすことは、あまりにも「急な、大きな環境の変化」に他ならないことは誰でもわかることで、それは「認知症を悪化させる」とついさっき自分で言っていたではないか。

 この参加者は、「この地域の、若年性認知症の人を受け入れ可能という高齢者施設ならどこでも、急な、大きな環境の変化による若年性認知症の悪化リスクを充分に抑えられる、補える対応をしている、対応ができる」と考えているのか?

 あるいは「他に行くところがないのだから、仕方ないだろう」という、ひどい考えなのか?

 そこに行って一番つらいのは、若年性認知症が悪化してしまう、少なくともそのリスクが高い本人、二番目がその本人を思いやる家族だと俺は思う。

 そして三番目は、利用者のほとんどが高齢者で、一人だけ若年性認知症の人という高齢者施設において(このパターンになることが多いと俺は聞いている)、複雑・困難な対応を迫られる誠実なスタッフたちだろう。


 この参加者は、若年性認知症の人専用の公的サービスを作る方が、本人にとっても家族にとってもサービス提供者にとっても、そして社会全体にとっても良いことで、経済的・効率的でもあることに、まだ気づかないのか?

 被災地にいる老年性認知症の人々を思いやることができるのに、この地域の若年性認知症の本人とその人を誠実に支えようとする人々のつらさを理解できない、理解しようとしないということが、ありうるのだろうか?

 この参加者の被災地を思いやる態度や言葉がポーズ、うわべだけということであれば、逆に納得できてしまうが。


 俺は怒りを通り越してあきれて、疲れてしまい、言葉にして反論する気になれなかった。

これまで、これから6
2012/05/01.Tue

これまで、これから6-(2)

 平成23年の春から夏にかけて二番目に大きかったことは、父親の要介護度が3から5になったことだろう。

 とはいえ、状況はたいして良くなったわけでもない。

 一割負担で受けられるデイサービスやショートステイを少し増やせたことと、訪問診療および訪問リハビリに少し希望が見えることは良かったが、父親が特養(特別養護老人ホーム)に入所できる見通しは、全く立っていない。


 今になって、疑問に思えてきたこともある。

 父親は精神病院の入院中から関節の拘縮や身体の普通ではない曲がり、傾きなどが出てしまったのだが、普通なら入院中から受けられる、入院している病院で整形外科医の診察、その医師の指示で入院中および退院後にリハビリを受けられなかった。

 そのことが、これまでの父親のリハビリにかかわる問題・大変さの原因、始まりだろうというケアマネージャーさんからの話があった(平成23年-夏-(17) 参照)。

 しかし、この入院中から、今のケアマネージャーさんは俺の父親を担当してくれていたし、関節の拘縮や身体の普通ではない曲がり、傾きについて知ってもいた。
 なぜ病院に対して、俺の父親がリハビリを受けられない理由・事情を問い合わせてくれなかったのか?

 俺なりに考え、これはケアマネージャーさん個人がどうこうではなく、制度的な問題だろう、という結論に至った。

 医療と介護は、健康保険のサービスと介護保のサービスが同時に受けられないことに象徴されるように、健康保険で仕事をする人々と、介護保険で仕事をする人々では世界が違うようだ。

 2つの世界は接する、つながること(いわゆる医療と介護の連携)はできても、交わること(相手の世界に対して注文を付けたり問題を指摘したりする行為)は難しいらしい。

 いっそ、健康保険と介護保険を統合することはできないのだろうか(健康保険と介護保険健康保険と介護保険-(2) 参照)。

これまで、これから6
2012/04/30.Mon

これまで、これから6-(1)

 平成23年の春から夏にかけて一番大きかったことは、やはり東日本大震災だ。

 大地震、その直後からの長時間の停電で、我が家はギリギリのところまで追いつめられた。
 ガスや水道も止まったり、住む家を失ったりしていたら、俺は父親を殺していたかもしれない。
 自分が生き残るために…

 そこをなんとかしのげたと思ったら、物資不足の状態がしばらく続いた。
 この間に、父親の若年性アルツハイマーは悪化してしまった。


 甚大な被害を受けた被災地、被災者のために俺も何かしたい、役立ちたいと思ったが、父親の介護で精一杯で、時間的にも経済的にも身体的にも苦しく、町内会の義援金集めに少額のお金を寄付するくらいしかできなかった。

 もしも、父親がすでに特養(特別養護老人ホーム)に入所しておちついていてくれたら、俺は被災地で、母親のことがあるので被災地は無理でも、我が家から一番近い避難所などでボランティア活動ができただろうし、したかった。


 もしも、若年性認知症専門の(働く場がある・移行型・看取りまで)グループホームがあって(あったとして)、父親が数年前からそこに入所しておちついてくれていたら…

 俺は、身体にここまで多くの病気やケガ、痛みを抱えることもなかっただろうし、何より働き続けていただろう。

 俺の持っている資格、父親の介護に専念せざるを得なくなって辞めた仕事の内容などからして、働き続けていたとすれば、被災者の方々に必要とされる知識と技能を持って、被災地や避難所に行くことができたと思うのだが…


 盛夏になると、父親は連日のように熱中症になってしまった。
 昨夏よりひどいのは、やむを得ない節電が一番の原因と思われ、東日本大震災の影響と言えるだろう。

これまで、これから6
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