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2013/04/24.Wed

平成24~25年-冬-(43)

 俺と母親が、特養(特別養護老人ホーム)に入居している父親に会いに行き、父親を手引き歩行で誘導してみたら…

 力が入らず固まっていた感じのヒザが少し曲がるようになり、転倒する前くらいには歩行と立位が安定していて、前回・前々回の面会時のように俺と母親が父親の身体を慌てて支えることは無かった。


 3月中旬になると、晴れた日の昼頃には暖かく感じられるようになった。

 雪が降ることはあっても、積もることはなくなり、雪かきの必要は無くなった。
 俺は、花粉症による目の症状を抑える目薬を使い始めた。

 春は、すぐそこまで来ている。

平成24~25年-冬
2013/04/22.Mon

平成24~25年-冬-(42)

 …前(下)の記事~ 平成24~25年-冬-(41) ~の続きです。

 この地域において、俺のNPOへの理解や支援が早く広がったり、若年性認知症専門の居場所やデイサービスなどの事業に早期に取り掛かかったりするチャンスはあった、というか作った。

 この地域の地方議会の中に、多少なりとも若年性認知症に理解のある議員が、一人だけいた。

 俺の働きかけもあって、その議員さんは議会で若年性認知症専門の支援・サービスについて訴えてくれる、可能なら俺のNPOについても言及してくれることになっていたのだが…

 議会の発言予定日直前に大きな病気になり、すぐ療養生活に入ってしまい、議会で若年性認知症専門の支援・サービスについて取り上げられることは無かった。

 その議員さんが、これから議会で訴えてくれることがあるとしても、だいぶ先になるだろう。


 俺のNPO活動は、行政サービスや資金に余裕のある慈善事業じゃない。

 この県内では、理解・支援してくれる人も少なくて、会員数が増える気配もない。

 できる範囲での参加や協力を一切しないで、若年性認知症の人とその家族への支援やサービス(づくり)だけを俺に求められても、困る。

 さらに、全国組織とも団体として連携できない状況では、これまでと同じ活動は続けられない。


 とはいえ、この地域で俺のNPOへの支援や参加が増えなかったのには、良い事情もあるようだ。

 この地域でも、若年性認知症の人やその家族に対する(老年性認知症と分けた)理解や支援が少しずつ出てきたという話を、俺は信頼できる人から聞いた。

 俺の約半年間のNPO活動も、それに少しは貢献したらしい。

 俺のNPOに参加・支援しなくても状況が良くなるなら、敢えて参加・支援しようと考えなくなるのは仕方がないし…

 それに俺は、この地域の若年性認知症の人とその家族が、(老年性認知症と分けた)正しい理解と適切な支援・サービスを受けられるようになるなら、俺がその中心にいる必要は全く無いと思っているし、俺のアイディアや方法にこだわる気もない。


 俺は、NPOの活動を縮小して他で働きながら(収入を得て)、しばらくの間、状況の推移を見守る方向でいくことにした(平成24~25年-冬-(36) 参照)。

平成24~25年-冬
2013/04/20.Sat

平成24~25年-冬-(41)

 俺の介護体験や若年性認知症支援NPO活動が新聞記事になって(平成24~25年-冬-(32) 参照)一か月以上経ったが、その反響は、ここの地域性とインターネット社会ということを考えさせられるものだった。

 俺は、ただ反響を待っていたわけではなく、その新聞記事のコピーを会報と共に配るなど、こちらからも動いたのだが…

 俺の住む県内では結局、反響はほとんど無くて俺のNPOへの理解や支援が広まることも、会員数が増えることもなかった。

 一方で、この新聞記事そのものは地方版にしか載っていないのだが、この新聞社のホームページで同じ文章が掲載されたせいだろう、県外と思われる様々な人・団体がインターネット上で、俺自身や俺のNPOに対して激励の言葉やアドバイスをくれた。

 そして、若年性認知症の全国組織から加盟の誘いが来た。

 代表の俺自身が介護家族・当事者で活動に制限が大きく、会員数も少ない若年性認知症支援NPOが、この県内において理解や支援が広がらない状況で活動していくには、若年性認知症の全国組織と連携するしかないのだが…

 この県内では、若年性認知症に限らず若年性の他の障害や難病の人への支援も少ないので…

 一桁の人数しかいない俺のNPOの会員の多くが、若年性認知症だけでなく、若年性の他の障害や難病との一体的な支援・サービスを俺のNPOに求めていた(平成24~25年-冬-(23) 参照)。

 その会員たちが、若年性認知症に特化した支援・サービスを提供している、あるいはつくろうとしている団体の連合体である若年性認知症の全国組織への加盟に、賛成してくれなかった。

 次の記事に続きます…

平成24~25年-冬
2013/04/18.Thu

平成24~25年-冬-(40)

 いつものように俺が自家用車を運転して母親と一緒に、特養(特別養護老人ホーム、父親のところとは別)に入居している祖母に会いに行った。

 祖母はベッドに寝て(寝たきりで)いて、上半身部分が介護ベッドの機能で少しだけ高くされた状態で、胃ろうの食事中だった。

 祖母は口を開けて、イビキをかいて眠っており、声をかけても反応がなかった。

 スタッフさんに祖母の状態について聞くと、先日の血液と尿の検査(半年に1回)では特に問題なかったとのことだが…

 痰の吸引を、以前よりこまめにしなくればならなくなっていて、また、皮膚が弱く、動くほうの手でかいてしまうことがあるので、塗り薬や飲み薬で対応しているそうだ。


 母親が、足を引きずる(平成24~25年-冬-(25)平成24~25年-冬-(32) 参照)原因になっているヒザの痛みで整形外科医院を受診したいと言うので、俺は自家用車で送迎した。

 帰宅後に話を聞くと、変形性膝関節症らしく、どうしても痛みが耐えられないならヒザに注射をするしかないようだが…

 微妙なところで、しばらく様子を見るよう先生に指示されたそうだ。


 母親が変形性膝関節症になった原因は、加齢もあるだろうが…

 長年の父親の在宅介護の間、俺一人では対応できない身体介助で母親に手伝ってもらうことが何度もあった。

 その際に母親のヒザに大きな負担がかかっていたと思われることも多く、その蓄積も原因の一つだろう。

平成24~25年-冬
2013/04/16.Tue

平成24~25年-冬-(39)

 …前(下)の記事~ 平成24~25年-冬-(38) ~の続きです。

 その翌日、俺と母親が父親に会いに行くと、頬のぶつけたところは少しふくらんで赤くなっているが、痛みは無いようだ。

 父親のぶつけたヒザを見ると、ヒザ頭がちょっと赤いくらいで、こちらも痛みはなさそうだが…

 父親を手引き歩行で誘導したら、そのヒザは普段よりさらに力が入らず、固まっている感じで、何度か転倒しそうになり、その度に俺と母親は急いで父親の身体を支えた。


 モジュール車椅子に座っている時の横への転倒を防止するため、転倒の原因の一つだった可能性がある共同スペースのテーブル上、上腕の下に置いていたクッション(平成24~25年-冬-(11) 参照)を、スタッフさんと相談してやめることにした。

 少しだけテーブル側に傾きがちになるかもしれないが、転倒防止を優先させるしかない。


 その数日後の面会では、父親の頬とヒザの赤みは薄くなり、ヒザの力が入らず固まった感じも、少し良くなっていた。

平成24~25年-冬
2013/04/14.Sun

平成24~25年-冬-(38)

 2月下旬の大雪の日の夕方、父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)から家に電話があり、父親が転倒してケガをしたというのだ。

 こういう電話があると俺と母親は、父親が頭に大ケガした時のことを思い出してしまい、冷静でいられなくなる。

 なんとかおちついて事情を聞くと…

 特養の共同スペースでモジュール車椅子に座っていた父親が、スタッフさんたちが目を離していたわずかな時間に、不安定に立ち上がろうとして横に倒れたらしい。

 一施設の努力ではどうしようもない社会制度上の人手不足で、もともとギリギリのスタッフ人数のところに、この日の大雪対応へスタッフさんを回さざるを得なかったことも、父親から目が離れた原因としてあるようだ。

 今の父親は、転倒した側の頬とヒザに赤みが見られるものの、特に痛がっている様子はなく、おちついているそうだ

 明日、父親は外科の嘱託医の往診を受けて、その結果をスタッフさんが家に連絡してくれるとのことで、俺と母親はその結果を聞いてから、どう動くか決めることにした。


 翌日、往診の結果についての電話が家にきた。
 頬もヒザも骨に問題は無いようで、様子を見ていくことになったそうだ。

 次の記事に続きます…

平成24~25年-冬
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