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2013/12/11.Wed

これまで、これから9-(3)

 平成24年から25年に年をまたいだ冬から、25年の夏にかけての期間、俺は何度も後悔の念と共に思い出すことがあった。

 昨年(平成24年)の春、この地域の介護家族会の集会に参加した際、家族会の責任者から俺に、若年性認知症の本人とそのご主人と紹介された夫婦(平成25年-春-(18)平成25年-春-(19) 参照)について…

 詳しい経歴は教えてもらえず、俺も遠慮してほとんど聞けず、その時の俺は自分で想像するしかなかったのだが、その夫婦共に60代後半で、奥さんはとても認知症には見えず、発症したばかりなのか、ひょっとしたら発症していないのでは、とも思った。

 なぜ俺は、この時に自分の印象を信じて、「失礼ですが、お歳はいくつですか?」と、そして「認知症と診断されたのは、何歳の時ですか?」と質問しなかったのだろうか…

 その答えで、もしウソを言われてもその態度から俺は事実を知っただろうし、それを知った俺は、その後すぐに全く違う生き方・働き方を選択しただろう。

 それに加えて…

 こういう質問をしないまま俺が、その後の数か月、本当は老年性認知症の人を、家族会の責任者の言葉を信じて同じ若年性認知症の当事者(家族)として接してしまったことが…

 家族会に、「このウソ・ごまかしは押し通せる」とか「老年性認知症と若年性認知症の支援は、一緒にしてもかまわない」という間違った自信を持たせて・強めさせてしまったのではないか?

 そうだとすると俺にも罪があり、若年性認知症支援NPO活動をする資格など無いのではないか…

これまで、これから9
2013/12/10.Tue

これまで、これから9-(2)

 今の俺が一番困っているのは、母親のことだ。

 母親は俺に、俺の身体の問題に差支えない範囲で、正社員や正職員として働けと言う。

 それなら、自家用車を運転できないと非常に不便なこの地域で、運転免許すら持っておらず、ヒザの痛みで頻繁に足を引きずる(平成24~25年-冬-(40)平成25年-春-(9) 参照)母親は、自分の通院や買い物などはどうするのか? と俺が尋ねると…

 俺の休み、つまり正社員や正職員として働く時間以外で、俺に自家用車で送迎・同行してもらう、と平然と答える。

 しかし、俺の身体の問題も厳しい。

 もし正社員や正職員として働いたら、仕事以外の時間や休日については、まず、面会を含む父親のことをしたら、それ以外のほとんど全てを、俺自身の通院や身体を休めることに充てざるを得ない。

 その時間を母親のために使うことになったら、俺は早々に潰れてしまう…

 平成24年から25年に年をまたいだ冬から、25年の夏にかけての期間、母親の定期的な通院は整形外科、眼科、歯科医院くらいだったが、急に症状が出て、俺が内科や皮膚科などの医院に送迎することも何度かあった。

 だから、俺に正社員や正職員として働けと言うなら、緊急のものはやむを得ないとしても、予定が立てられる自家用車での同行・送迎は同じ市内に住んでいる親戚や(俺の)弟の奥さん(専業主婦)に頼んでほしい、と母親に話すと、「そういった人たちには、気を使うから頼みたくない」と答える。

 確かに、祖母との面会にも象徴されたように難しい親戚が多いし(平成25年-夏-(8) 参照)、弟の奥さんは、まだ子供が小さくて大変だから今のところ頼みにくい、というのもわかる。

 母親は、地区の公民館の趣味教室には通い続けており、そこで近所の奥さんたちとも知り合いになったが、自家用車での送迎を頼むことは難しいらしい。


 仕方なく俺は、週2~3日か、週5~6日働くとしたら各日とも半日ぐらいで、腰痛や坐骨神経痛があってもなんとかできる事務のパートを、資格の勉強の合間に探している訳だが…

 この地域では、正直そういう仕事は少ない。

 この地域では若年性認知症の人を介護してきた家族に対しての理解が広まっていない(平成25年-春-(19) 参照)から、俺の事情を酌んでもらうのも厳しく、そういう少ない仕事は子育てしている人などが優先される。

 俺は国家資格なども持っているが、その資格でパートで働こうとしたら、「そういう資格を持っているなら、(身体のことはある程度配慮するとしても)正社員・正職員としてフルタイムで働いてもらうことになる」と言われ、やむなく断ったこともあり…

 正社員・正職員として働ける資格を持っているのに、パートの事務仕事に就くために必要な資格を取得したり取得し直したりする(平成25年-春-(6) 参照)という、自分でもよくわからないことを、俺は今やっている。


 ただ、父親の障害年金の一部に頼ったり、少なくなった貯金を更に食い潰していったりする生活から早々に脱しなければいけない状態であることは、間違いない…

これまで、これから9
2013/12/08.Sun

これまで、これから9-(1)

 父親は72歳の誕生日(平成25年-夏-(26) 参照)の時点で、認知症の専門医に「若年性アルツハイマー」と診断されてから約12年半が経ち、その診断時に「遅くとも2年前には発症していた」と言われたから、発症からは14年半以上になる。


 現在(平成25年夏の終り頃)の父親は、若年性認知症の人に個別対応してくれる部分もあるが、基本的には老人福祉施設、老年性認知症の人が多いところでお世話になっている。

 父親は、日常生活が全介助になって、だいぶ経つ。

 見たものも聞いたことも理解できなくなって、失語症状もあり、ほとんどコミュニケーションはとれない。

 入浴は、チェアー浴。
 排泄は、ほぼ常時失禁状態。

 骨格の湾曲、関節の拘縮、身体の硬化、筋力・体力・嚥下機能(飲み込み能力)低下などもあり、介護・介助をより大変なものにしている。

 しっかり、かつ慎重な手引き介助の歩行でも転倒のリスクが大きくなり、その距離・時間も短くなって、日中もほぼ車椅子かソファで過ごし、毎日の昼寝など、完全な車椅子生活や寝たきり生活も遠くないように思えてくる。

 しかし、スタッフさんたちは、俺の父親の自立度を維持するために最大限の努力をしてくれている。

 食事は父親が食べやすく、味わえて、咀嚼(食べ物を噛むこと)・嚥下機能も維持できる一口サイズに切ったり分けたりした上で、粘り強い全介助で食べさせてもらっている。

 リハビリや訪問マッサージ、行事参加なども、父親の受けられる・できる範囲でなるべく多くやってもらっている。

 ほぼ常時失禁状態でも、トイレに誘導してくれている。

 父親に時折、反応や笑顔が見られるのも、これらのおかげだろう。


 だから俺は、若年性認知症専門の支援を求める、作ろうと考える自分に矛盾を感じることもある。

 しかし、今の施設のようなところは、この地域には少なく、そこにお世話になる前の(高齢者向け)デイサービスだけや小規模多機能の事業所では、結果的に父親を受入れてもらえなくなったし…

 受入れてもらえなくなり、やむを得ず入院した精神病院では、「この地域には若年性認知症専門の施設が無いから、老年性認知症の人が多くいる施設に慣れてもらうため」という理由で老年性認知症病棟に長期入院することになり(平成21年-春-(16)-(17) 参照)…

 その結果、父親の身体機能がガクッと落ちて、その後の介護は非常に大変になった。

 今の俺のひどい椎間板ヘルニアや坐骨神経痛の要因は、父親の精神病院(再)退院後から特養に入居するまでの期間の身体介護が大変だったことが、一番大きい。

 主に、その自分の経験から、この地域で、他の若年性認知症の人とその家族に同じような苦しみを味わってほしくないと思った俺は、若年性認知症専門の支援を求めたり、求めるだけでは叶わないようなので作ろうとしたりしていた訳だが…

 俺は今、それをあきらめようとしている(平成25年-夏-(19) 参照)。

これまで、これから9
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