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2018/11/21.Wed

平成28年-秋-(24) 忘年会についての返事

 11月中旬の次に面会した日、まず俺と母親は(特養を含む介護)施設の受付で特養の生活相談員さんに、施設のホールで来月に開催される特養の忘年会に家族が参加するかどうか聞かれていたことについて、バイキング形式の食事を…

 その中に「なめらか食」やミキサー食に近い品などがあっても、家族が(全介助で)父親に食べさせるのは誤嚥リスクが高いからできず、父親に食べさせられない状況で(隣で)家族が食べるという訳にはいかないので、家族は参加しない旨を伝えた。

 父親が特養スタッフさんに忘年会の会場へ連れて行ってもらうとしても、雰囲気を感じてもらうだけの短時間だろう。

 家族3人で出し物・余興どを見ていることは可能だが、料理を食べることがメインの忘年会の会場に、食べられない、食べない人が参加するというのは違和感があるし、寂しいと俺は思う…

 その後、俺と母親が父親の部屋に行くと、女性スタッフさんと男性スタッフさんがいて、二人がかりで父親をベッドからリクライニング車椅子に移し、ハーフケットを足にかけてから退室した。

 ほどなく施設のホールで、特養入居者参加型の歌イベントが始まるので、家族にホールへ連れて行ってほしいということだ。

 部屋はエアコンが止まっていても特に寒くはないが、ホールは少し寒いので、俺が父親の頭と肩を少し浮かして、その間に母親がマフラーを父親の後ろから肩にかけ、そして俺は静かに父親の頭をヘッドレストに、肩を背もたれにつけた。

 俺は手短に、父親のシェーバーのブラシでの手入れ、スポンジブラシ・歯ブラシ・コップ洗い、連絡用ホワイトボード記入などをした。

 俺が父親の車椅子を押して、母親がその横で見守りながらホールへ移動して、そのイベントに参加した。

 父親はおちついていたが、手や頭を動かすことがあった。

 精神科の医師が父親の近くに来て、ちょっと見るだけの「往診」があった。


 その次の面会では、父親は部屋の、上半身部分を少し高くされたベッドで、横への傾きがほとんどない仰向けになっていた。

 いつものように俺は、ついていたラジオを消して、部屋での面会中は、家から持ってきたポータブルDVDプレーヤーで演歌・歌謡曲番組を録画したDVDをかけた。

 父親の手の爪の一部が尖っていたので、関節の拘縮で曲がったままの父親の指を可能な範囲で母親が伸ばして、その間に、老眼鏡をかけた俺が手早く、爪ヤスリで尖っていた部分だけ削った。



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平成28年-秋
2018/11/18.Sun

平成28年-秋-(23)

 11月中旬も俺と母親が、父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)の部屋に行くと…

 父親はベッドで、上半身は横への傾きがほとんどない仰向けだが、関節の拘縮で窮屈に曲がったままの足だけが横に傾いていた。

 目には涙まじりの目ヤニがついていて、口は少し開いたままで、頭の枕への乗りがだいぶ浅かった。

 俺が父親の頭を少しだけ浮かせて、母親が素早く枕の位置を直すと、俺は父親の頭をそっと枕に乗せた。

 父親は痰が絡むような咳をしたり、小さく声を出したりした。

 部屋の前の廊下は暖房が効いていて、その空気が入ってくるのか、部屋の中も暖かいので、部屋のエアコン(暖房)のスイッチは入っていても温風が出てこないのだろう。

 部屋の壁に掛かっている連絡用ホワイトボードには、スタッフさんがラジオの電池を交換してくれたこと、週1回の訪問マッサージを今週だけ曜日変更したこと、などが書いてあった。

 母親が、父親の部屋の中にあるリクライニング車椅子の、ヘッドレストカバー(代わりの枕パッド)を交換した。

 俺は、お湯で絞ったタオルで、父親の目ヤニを拭き取り、また、家から持ってきた専用シェーバーを使って耳・鼻毛シェーブをしたら、父親にしかめっ面をされた。


 その次の面会では、父親は部屋のベッドで、全体的にやや横向きになっていた。

 父親が身につけているのは、長袖上着シャツ、その中は下着シャツで、下はやや厚手のスエットパンツ、その中は紙オムツ+(男女兼用)尿取りパッドか布オムツ+オムツカバーのどちらかだろう。

 また、靴下を履いていて、それらの服の上に、毛布が腹と足に、毛布の上に布団が足に、かかっていた。

 部屋のエアコン(暖房)のスイッチは入っていたが、室内が暖かいせいか、面会中にエアコンから温風が出てくることはなかった。

 介護スタッフさんが俺と母親に、お茶と丸椅子を持ってきてくれた。

 父親は眠そうになったり、目を覚ました感じになって少し声を出したりして、また、関節の拘縮がひどくない方の手を顔に持っていって、口の近くで強く爪を立てた時は、母親が父親の手を握り、ゆっくり、少しずつ顔から離した。

 俺は、家から父親の部屋のラジオ用の乾電池を予備として持ってきて、父親の部屋の中の、スタッフさんと取り決めた場所に置いた。

 棚の上の「看取りファイル」の一昨日のところに、食事中のムセのことが書いてあった。

 その横の痰吸引器は、1回くらい使われた形跡があった。



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平成28年-秋
2018/11/16.Fri

平成28年-秋-(22) 週3日から2日へ

 平成28年(2016年)の11月中旬になると、俺の住む地域は、日中は暖かい日もあったが、全体的には冬の寒さになってきた。


 俺は、手足の強い冷えに悩まされるようになったが、自律神経の不調は続いていて、身体の他の部分は熱くなって顔が真っ赤になることも時々あった。

 食欲不振もさほど変わらず、また、よく眠れなくて日中に疲労感が強く出てしまう。

 それでもなんとか両親のこと、そして週3日の個別指導塾講師・家庭教師の仕事を続けていたが…

 俺が担当している高校生3人のうちの1人が、同じ個別指導塾・家庭教師派遣の事業所の他の先生に担当してもらうことになって、俺は、その先生に引継ぎをした。

 ベテランで実績が豊富で、高校生指導のスペシャリストとも言われている先生で、その生徒の親御さんは、以前から自分の子をその先生に担当してほしかったが、指導の限界まで多数の生徒さんたちを指導していて無理で、俺が担当していたということだ。

 しかし、その人気の先生が担当している生徒さんたちの何人かが、推薦で大学合格を果たし、その人数分を新しく担当できることになったので、その親御さんは、自分の子の担当を俺からその先生に替えてほしいと事業所に申し出た、という事情らしい。

 ただ、俺の授業中、その生徒さんが、緊張して身体が熱くなり顔が真っ赤になっていたであろう俺を見て、少し変な顔をしていたことがあったので…

 やはり、俺の自律神経の不調も理由の一つではないか、と思ってしまう。

 その自律神経の不調と、残った2人のうちの1人が大学受験生で指導が大変であることから、当面、その2人だけ担当することになり、つまり、週2日の仕事になった。

 給料が減ることはつらいが、他の先生が担当することになった生徒さんは駅前の教室での授業だったので、俺は駅前への通勤が週2回から1回に減って、腰痛と坐骨神経痛の悪化(平成28年-秋-(5) 参照)が抑えられそう、という点では助かった。


 この時期に母親は、町内会の日帰り旅行に参加したり、実母(俺の祖母、平成25年-夏-(8)平成25年-夏-(17) など参照)の法事に行ったりした。


 母親が互助会の会員になっている葬儀社のイベントが、その会社の斎場であったので、俺と母親はイベントに参加しながら、担当者さん(平成27~28年-冬-(27) 参照)に、父親の現状を伝えた。


 父親が入居している特養から、父親の先月分の請求書と生活記録が届いた。

 10月の父親は、週1回の訪問マッサージと約週1回の歯科衛生士さんによる口腔ケアを受けられていて、笑顔や良い感じの発声があったり、排便(便失禁)後にすっきりした表情を見せたりしたようで、これらはうれしい情報だった。

 しかし、その一方で、(痰の)吸引回数が増えている、食事中に父親が口を開かなくなって少ししか食べさせられないことが何度かあった、といった心配なことも生活記録に書かれていた…



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平成28年-秋
2018/11/14.Wed

平成28年-秋-(21) 笑顔と発声

 11月上旬の次の面会では、父親は部屋のベッド上で、(体位変換および関節の拘縮に対応した複数のクッションによる)やや横向きの仰向けになっていて…

 目ヤニが固まっており、顔には少しフケ・皮膚カスのような汚れがあり、あくびしたり、眠そうになったり、しっかり目を覚ました感じになったりした。

 父親が身につけているのは、全前開きタイプの長袖上着シャツ、その中も着せやすい・脱がせやすい下着シャツで、下はスエットパンツ、その中は紙オムツ+(男女兼用)尿取りパッドか布オムツ+オムツカバーのどちらかだろう。

 また、靴下を履いていて、それらの服の上に、毛布が肩あたりから足に、毛布の上の布団は足に、かかっていた。

 俺は、ついていたラジオを消して、面会中は、家から持ってきたポータブルDVDプレーヤーを使い、父親が好きだった歌謡曲や演歌を多く含む最近のテレビ番組を録画・ダビングしたDVD-RWをかけた。

 母親は、家から持ってきた父親の冬物衣類を数枚、父親の部屋の衣装ケースにしまい、その分入りきらなくなった秋物を家へ持ち帰ることにした。

 また、冬寄りの帽子も家から持ってきて、春秋向けの帽子も持ち帰ることした。

 もう父親が外出することはほどんど無く、あっても、帽子を被るのは建物と特養の福祉車両の間のわずかな距離だけだが、それでも必要ではある。

 俺は、お湯で絞ったタオルで、そっと、できるだけ父親の目ヤニを拭き取り、顔も拭いた。

 俺は父親のシェーバーをハンドソープを使って水洗いして、窓際で乾かしておき、帰る前に組立てて、シェーバーオイルをつけた。

 俺と母親が帰り際、父親に声をかけたら、父親は笑顔を見せてくれた。

 この小さな笑顔で、俺と母親の苦しみは(少し・一時的だが)減る。


 その次の面会では、父親は小さくアーアーと声を出した。

 苦しそうな発声は別だが、声を聞けるだけでも俺と母親はうれしい。

 棚の上の「看取りファイル」によると、一昨日と昨日、1回ずつ(痰の)吸引があったようだ。

 約週一回、父親の口腔ケアをしてくれている歯科衛生士さんが来室したが、「今日の口腔ケアは、面会後にします」と言って、他の入居者さんのところに行った。


 その次の面会でも、父親に小さな発声があった。

 いつものように俺は、父親の歯ブラシ・スポンジブラシ・コップ・指ガード洗い、シェーバーのブラシでの手入れ、連絡用ホワイトボードへの記入、などをした。

 この秋になって初めて、父親の部屋のエアコン(暖房)のスイッチが入っていたが、室温がそんなに低くないせいか、面会中に温風は出なかった。



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平成28年-秋
2018/11/12.Mon

平成28年-秋-(20)

 11月上旬も俺と母親が、父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)の部屋に行くと…

 父親は部屋のベッドで、相変わらず関節の拘縮や背骨の湾曲で縮こまった感じで、ほぼ真横向きになっていて、眠そうではなく、固まった目ヤニがあった。

 母親は、家から持ってきた新しいBOXティッシュを予備として棚に置き、また、部屋の中にある父親のリクライニング車椅子の、ヘッドレストカバー(代わりの枕パッド)を交換した。

 女性の介護スタッフさんと男性の介護スタッフさんが(一人ずつ)来室して、二人がかりで父親をベッドからリクライニング車椅子に移し、肩にはタオルを、腹と足にはハーフケットを掛けてから退室した。

 この日は(特養を含む介護)施設の少し寒いホールで、地域ボランティアの人たちによる歌謡コンサートがあるからだ。

 俺は、お湯で絞ったタオルで父親の目ヤニを拭き取って、母親は(父親がリクライニング車椅子に座ったことによって空いた)ベッドを軽く掃除した。


 ホールのコンサートが始まる時間が過ぎていたので、俺が父親の車椅子を押し、母親がその横について父親を見守りながら、3人でホールに移動した。

 既に数十人の特養入居者さんたちがいたホールの片隅で、俺と母親は、父親の車椅子のブレーキをしっかりかけてから、その両脇にホール備品の椅子を持ってきて座り、コンサートを聞いた。

 もう父親は、このようなコンサートを聞いていることも理解していることも、ほとんどなさそうだが、俺も母親もスタッフさんたちも、部屋にずっといるよりは父親にとって良い(気分転換になる)だろうと思い、できるだけ連れてくるようにしている。



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平成28年-秋
2018/11/11.Sun

平成28年-秋-(19) 認知症カフェの体験研修会

 平成28年(2016年)の11月上旬になると、俺の住む地域は、いかにも晩秋という感じの冷たい雨が降るようになった。

 俺は、雪の季節に備えて、早めにディーラーに行って冬タイヤへの交換をした。


 俺の自律神経の不調は、相変わらずで…

 早朝の眠りが浅くて、日中に眠気が出てしまう。

 腹は減るし鳴るのだが、ほんの少し食べただけで満腹感が強くなり、ゲップも出るほどで、結局、食欲がなくなる。

 身体が熱くなるのは主に朝に目覚めた時だが、少し緊張・興奮しただけで午後とかにも身体が熱くなり、さらに顔が赤くなってしまうこともある。

 これらの不調を抑える薬が少なくなったので、俺は、かかりつけの内科医院を受診した。

 この内科医院は、俺の自律神経の不調について、そう診断される前に通院したところで、その後、精神科医院に通ったが、そこは家から遠いので、より近い内科医院で経過観察の診察と同じ薬の処方を受けられるようにしてもらった(平成28年-秋-(14) 参照)。

 診察を受けて、精神科医院と同じ漢方薬・眠剤・胃薬を処方さて、医師によると、俺が自分で飲む量をある程度は調整してよい、とのこと。


 俺は、母親と一緒に眼科医院を受診した。

 俺の診察の時、医師から、前回の受診から3か月くらい経ってしまったことを注意され、最低でも2か月に1回は受診するように、とのこと。

 俺が、自律神経の不調での通院を優先せざるを得なくて、眼科医院の方は、処方された目薬が完全になくなる直前の受診になってしまったことを話すと、医師から、「それなら仕方ない。そちらの不調はどうなの?」と聞かれた。


 別の日に母親は、歯の治療で歯科医院を受診した。

 母親は、家の近くの公民館での文化祭や、隣市の親戚の葬式にも出かけた。


 地元のテレビニュースが、「認知症カフェの体験研修会」というものがあったと伝えた。

 その研修会の様子が流れて、公共放送でウソをついていた認知症当事者夫妻(平成25年-秋-(11)平成25年-秋-(12) など参照)が、この研修会についての公共放送のニュースの中でアップで映っていた。

 俺は「公共放送局は何を考えているのだろうか?」と思った。

 この研修会があった認知症カフェは、認知症の家族会が県から運営を委託されているのだが、このニュースの中で、家族会の名前や県から委託されていることなどは特に出なかった。

 俺の住む県内で認知症カフェが(県や認知症の家族会の後押しもあって)どんどん増えている、という解説もあった。

 俺は認知症カフェを否定するつもりはないが、認知症サポーターと同様、ごく初期・軽度の認知症の人にしか対応できないものをどんどん、たくさん作るのは、どうかと思う。

 中度・重度の人への対策が大きく不足していることを考えると、明らかにバランスが悪い。

 また、たくさん作った・これからも作るなら、若年性認知症の人だけ向けの認知症カフェが一つくらいあってもいいと思うのだが、そのような話は無い…



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平成28年-秋
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