FC2ブログ
2019/02/03.Sun

平成28~29年-冬-(38) エンシュア

 平成29年(2017年)2月下旬の次の面会では、俺と母親が父親の部屋に着いた時、(特養を含む介護)施設の看護師さんがいて、父親の点滴の準備をしていたので、俺と母親は部屋の前の廊下で待つことにした。

 父親は、もともと関節の拘縮でヒジの内側など点滴の針を刺せないところが多く、それ以外の非常に限定された刺せる範囲でも、最近刺したばかりだったり、血管が弱っていたりで刺せないところが多いので…

 その看護師さんはなかなかできなくて、途中で別の(ベテラン)看護師さんと交代するなどもあって、時間がかかった。

 15分くらい経って、ようやく点滴を始められたと言って看護師さんが部屋から出てきて、入れ替わって俺と母親が入ると…

 父親は、上半身部を少し高くされたベッドで、横への傾きがほとんどない仰向けになっており、眠そうでなく、しかめっ面をしたり、痰が絡むような咳をして目に涙を浮かべて、その涙が目ヤニと混じったりしていた。

 棚の上には、いつものように「看取りファイル」が置いてある。

 そこには、父親が昨日、エンシュアを1回、コップ半分の量をトロミ付で飲ませてもらい、特にムセなどはなかったことが(スタッフさんによって)書かれてあって…

 前回の面会での「ジュースから切り替えてほしい」という家族の希望をかなえてくれた、ということだろう。

 この「看取りファイル」は、一昨年(平成27年)の12月から棚の上にずっと置かれていて(平成27~28年-冬-(11) 参照)、ファイルそのものは同じだが…

 一週間のことを記入する1枚の用紙が、何枚も書かれ、綴じられて一杯になると、それをスタッフさんがどこか(特養の保管場所だろう)に持っていき、また1枚の新しい用紙から始まるという形で、これまでに数回、そのような更新(?)があった。

 この日は、日差しがあって少し暖かいからか、エアコン(暖房)のスイッチは入っていなかった。

 小さなテーブルの上では、加湿器が動いていた。

 俺は、ついていたラジオを消して、面会中は、家から持ってきたポータブルDVDプレーヤーを使い、父親が好きだった歌謡曲や演歌を多く含む最近のテレビ番組を録画・ダビングしていたDVD-RWをかけた。

 母親に父親を見守っていてもらい、俺は、お湯で絞ったタオルを使って、父親の涙まじりの目ヤニを拭き取ってから、スポンジブラシ・歯ブラシ・指ガード・コップ洗い、シェーバーのブラシでの手入れなどをした。


 その次(二日後)の面会では、相変わらず父親はパジャマ姿でベッドに寝ていたが、点滴はしていなかった。

 もう、枕まわりにタオルや給水シートが敷かれることはなくなり、とりあえずは、吐かなくなった・吐く心配がなくなったということだろう。

 ほどなく歯科衛生士さんが来室して、ベッドの上半身部を高めにしてから父親の口腔ケアを始めたので、俺と母親は部屋の外の、少し離れた座れるところで待つことにした。

 しばらくして、歯科衛生士さんが俺と母親のところに来て、今回の父親の口腔ケアが終わったこと、父親の歯に大きな問題や変化はないこと、歯の裏側の汚れを取ったこと等を話してから、他の入居者さんのところに行った。

 俺と母親が父親の部屋に戻ると、介護スタッフさんが俺と母親にお茶を持ってきてくれて、その際にスタッフさんから…

 父親のヘアカットをいつにするかは様子を見ており、できそうなら明日(理容師さんが施設に来る曜日)にしたい。

 この後、施設のホールで地域ボランティアの人たちによる民謡のコンサートがあるが、今の父親は体力的に厳しいので、連れて行かない方がいい。

 父親が口から少しだが水分や栄養を取れるようになったので、点滴は3本から2本に減り、今日はその点滴2本もエンシュアのコップ1/2杯も午後にする、といった話があった。

 スタッフさんが退室した後、父親は痰が絡むような咳を繰り返すようになったので、俺はスタッフさんを探して父親の咳のことを伝えた。

 俺が父親の部屋に戻ってしばらくすると、施設の看護師さんが来て、部屋にずっと置いていある痰の吸引器を使って、咳が続いていた父親の痰を吸引した。

 父親は、痰を吸引されている間は苦しそうだったが、その後は咳がおさまり、おちついた表情になっていった。



ランキングや拍手をクリックして応援していただけると、うれしいです。

  にほんブログ村 介護ブログ 若年性認知症へ
平成28~29年-冬
2019/02/01.Fri

平成28~29年-冬-(37) ジュース

 2月下旬も俺と母親が、父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)の部屋に行くと、エアコン(暖房)と加湿器が動いていた。

 父親は、上半身部を少し高くされたベッドで少し横向きの仰向けになっており、眠そうだったが、しっかり目を覚まして手を動かすこともあった。

 前日と同じパジャマを着ていて、その中は紙オムツをしているようで、その中で尿カテーテルがつながっているのだろう、ベッド横にはパイプにつながれた尿バッグが下げられていた。

 パジャマの上に毛布と布団が胸から足の範囲に掛けられていて、また、点滴中で、ベッドのすぐ近くには点滴スタンドがあった。

 介護スタッフさんが、俺と母親にお茶と丸椅子を持ってきてくれて、その際に、父親の現状について話があり…

 明日に予定されていたヘアカット(平成28~29年-冬-(32) 参照)は、父親にとって負担が大きそうなので再延期した。

 明日に入浴の予定で、現在の父親は、週1回の入浴と、週1回の(全身を拭く)清拭になっている。

 そろそろ尿カテーテルをやめてもいいのでは、という意見がスタッフさんたちの間で出ている、とのこと。


 その次(二日後)の面会では、父親が寝ているベッドの横から尿バッグがなくなっていた。

 棚の上の「看取りファイル」には、尿カテーテルが外されて、ちゃんと紙オムツの中の尿取りパッドに排泄(尿失禁)していることと、昨日(予定通りに)入浴したことが書かれていた。

 だから今日の父親は、顔も髪もきれいなのだろう。

 この日は(特養を含む介護)施設のホールで地域ボランティアの人たちによる歌謡コンサートをやっていたが、今の父親は体力的にも、点滴中という点でも、連れて行くことはできなかった…


 その次(翌日)の面会では、父親は部屋のベッドで手からの点滴中で、その手を動かしたり、痰が絡むような咳をしたり、眠そうになったりした。

 棚の上の「看取りファイル」によると、しばらく絶食で点滴だけだった父親(平成28~29年-冬-(33) 参照)が、午前中に面会した昨日の午後から(トロミ付)ジュースを飲むようになったことが書いてあった。

 このジュースは往診の内科医師の指示と思われ、確かに口から水分を取るようになったことは良いのだが、ジュースにはこれといった栄養はなく、体力の回復は望みにくいので…

 俺も母親も、前回の総合病院の退院後と同じように、ジュースを早めにエンシュアや(ミルク・砂糖入りのトロミ付)コーヒーに切り替えてほしいと思った(平成27~28年-冬-(12)平成27~28年-冬-(14) 参照)。

 介護スタッフさんが俺と母親にお茶と丸椅子を持ってきてくれた際、そのスタッフさんに俺は、できれば父親の“ジュース”を(ジュースでなく)エンシュアやコーヒーにしてほしいと頼んだ。



ランキングや拍手をクリックして応援していただけると、うれしいです。

  にほんブログ村 介護ブログ 若年性認知症へ
平成28~29年-冬
2019/01/30.Wed

平成28~29年-冬-(36) 廃車と新車

 平成29年(2017年)の2月下旬になると、俺の住む地域は吹雪になったり、雨が降って寒さが緩んだり、また冷え込んだりして、まだ冬だが春になりかけているという感じだった。


 特養の生活相談員さんから、父親が入院したことによる手続に関して家に電話があった際、俺が、まだ父親は“もう、もたないかも”という状態なのか、面会を毎日続けるべきかを相談員さんに尋ねると…

 「まだ口から食べたり飲んだりできず点滴頼りですが、血中酸素濃度や血圧も悪くないようですし、尿も十分な量が出るようになってきたので、ご家族も大変でしょうから、もう毎日の必要はないのでは」という答えだった。

 それを聞いて俺と母親は相談し、2月上旬までのように、一日おきくらいのペースに戻すことにした。


 交通事故の相手の自動車保険会社から、保険金を俺の銀行口座に振り込んだという通知ハガキが、東京の行政書士事務所から、俺の事故で壊れた車を廃車にするための手続書類が、それぞれ家に届いた(平成28~29年-冬-(31) 参照)。

 その2日後に俺は、必要事項を記入した廃車の書類を、郵便局の窓口に行って特定記録郵便で発送した。


 ようやく、頼んでいた新しい自家用車(平成28~29年-冬-(22) 参照)の納車日になったが、その日の俺は週一回の個別指導塾講師の仕事があったので、その翌日に…

 俺は、振り込まれた事故の保険金および俺の貯金を銀行で引き出し、母親が協力してくれたお金と一緒に持って、ディーラーへ行った。

 担当者に代車を返して支払いを済ませ、買った新車を見たが、これまで車を買った時と違い、うれしい気持ちが全く出てこなかった。

 この車を買う原因・理由が母親にケガをさせてしまった交通事故であり、また、だいぶお金を使ってしまい、さらに、もう父親が乗ることは実質できない車だからだろう…



ランキングや拍手をクリックして応援していただけると、うれしいです。

  にほんブログ村 介護ブログ 若年性認知症へ
平成28~29年-冬
2019/01/28.Mon

平成28~29年-冬-(35) 悔し泣き?

 2月中旬が終わる頃になると俺の住む地域は、また寒さが厳しくなり、雪が降るようになった。

 俺と母親が前日に続いて、父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)の部屋に行くと…

 父親はベッドで、ほぼ真横向きに寝ており、眠そうで、足から点滴されていて、ベッド横には(尿カテーテルがつながっている)尿バッグが下げられていた。

 父親はパジャマを着ていたが、下着シャツも含めて昨日と違うものになっていて、毛布と布団が胸から足に掛けられており、枕まわりにはタオルや吸水シートが敷かれていた。

 外が雪で寒い日だから、もちろん部屋のエアコン(暖房)のスイッチが入っていて、室温が下がってくると温風が出てきた。

 小さなテーブルの上で、加湿器が動いていた。

 俺は、ついていたラジオを消して、面会中は、家から持ってきたポータブルDVDプレーヤーを使い、演歌・歌謡曲番組を録画したDVDをかけた。

 この日は日曜日で、俺の弟とその子供たちが面会に来てくれて、眠そうだった父親は子供(孫)たちの声に気づいたのか、少し目を覚ました感じになった。

 弟たちが帰って行ってほどなく、父親が「もたないかも」と言われた夜に面会に来ていた親戚がまた来て、すると父親は、声を出して泣いた…

 父親が自分の置かれている状況を悔しがっているように、また、この親戚たちには現在の自分の姿を見せたくないと思っているように、俺には見えた。

 この親戚たちに俺は、失礼にならないように気をつけながら、できるだけ早く帰ってもらった。

 俺は、父親を気の毒に思った一方で、悔しそうに泣くということは、それだけ元気がある・生きる意欲があるようにも感じた。


 その次の面会でも、父親はベッドでほぼ真横向きに寝ており、眠そうで、足から点滴されていて、ベッド横には尿バッグがあった。

 介護スタッフさんが、俺と母親にお茶を持ってきてくれて、父親の尿が以前より出ていると言ってから退室した。

 父親が咳をして、横向きで下になっている方に涙が流れそうになったので、俺は、お湯で絞ったタオルを使って、さっと拭いた。

 (特養を含む介護)施設の看護師さんが来室して、父親の点滴をチェックしてから、俺と母親に、今朝の父親に点滴の針を刺した時、父親がはっきり「イタイ」と言ったという話をした。

 刺せるところが少なくて、やむを得ず足の痛いだろう所に刺したからのようで、俺も母親も、父親の痛さ・つらさを思って心が重くなった一方で、はっきりと意思のわかる発声があったことは、うれしかった。

 看護師さんが退室したのとほぼ入れ替わりで、特養の生活相談員さんが来室して、この日の午前中、俺と母親の面会の前に父親が、歯科医の往診と歯科衛生士さんの口腔ケアを受けたことを話した。

 口腔ケアを受けられるほど、父親の体調・状態が良くなった、とも言えるだろう。


 この日の午後に俺は、自律神経の不調と胃痛のことで、かかりつけの内科医院を受診した。

 前回の受診(平成28~29年-冬-(27) 参照)と比べて、自律神経の不調は、最近の父親のこともあってか、さらに悪化している感じだ。

 診察で医師は、自律神経の不調を抑える漢方薬を、毎日しっかり朝昼夕に飲むようにと言い…

 胃痛については、前回処方された胃薬を自分なりに調節して飲んでいて、それで胃痛が出にくくなったことを俺が話すと、「その飲み方でいいです。今日は胃薬を多めに出します。胃カメラは急がなくてもいいでしょう」とのことだった。



ランキングや拍手をクリックして応援していただけると、うれしいです。

  にほんブログ村 介護ブログ 若年性認知症へ
平成28~29年-冬
2019/01/27.Sun

平成28~29年-冬-(34) 切迫感は消えた

 特養から家に、父親が「今夜、もたないかも」という電話があって、家族や親戚が夜に会いに行って、俺と母親が、家族が泊まっていくよう勧められたのを断って帰宅した後…

 何も連絡がないまま、次の日の午前中になった。

 俺が代車(平成28~29年-冬-(22) 参照)を運転して母親と特養に行き、まず介護スタッフさんに会うと、父親は、熱は下がったが断続的にしゃっくりして、よく眠れていない感じで、朝に少し吐いた、という話で…

 話の内容にも、スタッフさんの声や表情にも、昨夜の父親の死が近いような深刻さ・切迫感は、なくなっていた。

 父親の部屋に行くと、エアコン(暖房)のスイッチは入っていないが、日差しがあって暖かい。

 父親は、上半身部を少し高くされたベッドで、横への傾きがほとんどない仰向けになっており、点滴中で、小さいしゃっくりをしているが、特に肩で息をしているということはなく…

 頬が少し赤いが、そんなに熱がある感じではなく、手を動かすなど、ちょっと元気そうにも見えた。


 父親はパジャマ姿で、紙オムツと尿取りパッドをつけられているだろう。

 その上に毛布と布団が、腹から足に掛けられていて、ベッドサイドには尿カテーテルのバッグが下げられていた。

 小さなテーブルの上で、加湿器が動いていた。

 昨夜はついていなかったラジオがついていて、それを俺は消して、家から持ってきたポータブルDVDプレーヤーを使い、演歌・歌謡曲番組を録画したDVDをかけた。

 俺は、父親のシェーバーのブラシでの手入れ、スポンジブラシ・コップ洗いなどをした。

 ほどなく、父親のしゃっくりが止まり、そして、イビキをかいて眠ってしまったので、俺はDVDプレーヤーを止めた。

 俺と母親は、介護スタッフさんに、父親が眠ってしまったので帰ることと、この日の午後に昨夜とは別の親戚が面会に来ることを伝え、対応をお願いしてから帰った。


 この日の午後、交通事故の時からの母親の足の痛みと腫れがまだ残っているので、俺が代車を運転して、母親を整形外科医院に送迎した(平成28~29年-冬-(28) 参照)。

 母親が医院にいる間、俺は、そこから遠くない親戚の家に行って父親の現状を伝えた。


 その次の日も、午前中に俺と母親は特養に行って、父親と面会した。

 俺と母親が父親の部屋に入ったら、(特養を含む介護)施設の看護師さんが、父親に点滴の針を刺し終えたところだった。

 その看護師さんによると、父親の手や腕は、もともと関節の拘縮などで刺せるところが限られている上に、その刺せる範囲も、最近に針を刺してしばらく刺せないところばかりになってしまい、この時はやむを得ず足に刺したとのこと。

 また、父親の尿の量や色は良くなったそうで、確かに、尿カテーテルがつながっているというベッド横の尿バッグには、悪くない色の(?)尿が、それなりの量、入っていた。

 父親の頭周りに多くのタオルや吸水シートがあるので、それについて俺が看護師さんに聞いたら、少量だが、まだ口から黒色あるいはチョコレート色のものがあふれてくるので、その対応で敷いてあるそうだ。

 看護師さんが退室した後、あらてめて俺と母親が父親を見ると、タオルやシート・点滴・尿バッグのこと以外の父親は…

 ベッド上で、やや横向きの仰向けになっており、ぼんやりしている感じで、パジャマを着ていて、その上に毛布と布団が掛けられていた。

 しばらくすると、一昨日・昨日とは別の親戚が面会に来室し、父親を見たり父親に話しかけたりしてから、俺と母親に、「一昨日の夜に“そろそろ危ない”という電話があったので来たが、そんな感じではないように見える」と言って帰って行った。



ランキングや拍手をクリックして応援していただけると、うれしいです。

  にほんブログ村 介護ブログ 若年性認知症へ
平成28~29年-冬
2019/01/25.Fri

平成28~29年-冬-(33) もたないかも

 2月中旬、午前中に面会して夕方に特養から電話があった翌日、父親の先月分の請求書や生活記録が特養から家に届いた。

 1月の父親は、笑顔が見られたり、「ははは」という笑い声や、「はい」、「うまい」といった発声もあったりしたようで、年明けからとてもいい感じだったが、月末になって急変した感じだ。


 この日は午前中に、(特養を含む介護)施設の看護師さんから家に電話があって、父親のことを、(先日まで父親が入院していた、この特養と提携している)総合病院と連絡を取り合って、食事を止めて、点滴を一日2本から3本に増やしたとのこと。

 昼頃、さっきの看護師さんからまた家に電話があって、父親は、点滴したら低かった血圧は上がってきたが、また吐いて、少し肩で息をしており、尿量も少なくて、本来は予定されていなかったが明日、往診の内科医師に診てもらうそうだ。


 夕方に俺は、父親のことを心配しながら、週一日の個別指導塾講師の仕事をしてきた。

 帰宅すると、今度は特養の生活相談員さんから電話があって、父親が今夜、もたないかもしれないので来てほしい、家族が泊まる用意もする、とのことだった。

 俺と母親は、分担して(俺の)弟や親戚に父親のことを電話で伝えてから、特養に向かった。


 特養の受付のところで、弟および一組の親戚と合流し、父親の部屋に行くと介護スタッフさんがいて、「(父親は)少し熱があるので、部屋のエアコン(暖房)を切ってみて、それでも体温が下がらなければアイスノンを使います」と言って退室した。

 父親はベッドで、やや横向きの仰向けになっており、吐いたチョコレート色の物が乾いたと思われる汚れが口周りについていて、ベッド脇に下げられている尿バッグには、それなりの量が溜まっていた。

 わずかに肩で息をしていて、しんどそうではあるが、父親の目や表情には生気があり、少なくとも、死が近づいているようには見えない。

 母親と弟、そして親戚が、父親を見て話しかけた。

 介護スタッフさんがお茶を持ってきてくれて、弟と親戚は、そのお茶を飲んで、父親にもう一度声をかけてから、帰った。

 俺は、前回(1年少し前)の総合病院への入院あたりから、父親の死が遠くないと思っており、それなりに覚悟もできていたし、血圧や血中酸素濃度が下がる、尿が出にくくなる、というのは、確かに医学的に危ない兆候なのだろう。

 しかし俺は、父親を見た感じ、もう危ないと診断した医師が若年性アルツハイマーに詳しくなくて、また、父親の吐いたことを原因不明と言い、吐いた物を調べようともしない人であること、といった希薄だったり無理があったりする根拠なのだが…

 父親は、まだ生きようとしているし、吐いているのは、できるだけ身体の中にある悪いものを出そうとしているからで、(それを吐き出してしまえば、吐かなくなれば)もうしばらく父親は生きられる、と確信した。

 もうしばらく父親が生きるなら、俺と母親は、これまでの生活が続くということであり、正直、休める時にできるだけ休みたい。

 特養は、家族が父親の部屋に泊まる用意をしてくれるそうだが、このようなスタッフさんたちの雰囲気では、家族は今夜寝ることはできず、かといって徹夜したら明日以降が、きつい…

 だから俺は、介護スタッフさんに、「ご家族が泊まる用意をしてありますが、どうしますか?」と聞かれた時に、自分の確信などは言わずに…

 「父と一緒にいたいのですが、(俺も母親も)疲れていまして、家に帰って休ませていただきたく、申し訳ありませんが父のことを頼みます。明日の午前中にまた来ますし、それまでに連絡を頂いた場合は、すぐに来ます」と言って、帰った。



ランキングや拍手をクリックして応援していただけると、うれしいです。

  にほんブログ村 介護ブログ 若年性認知症へ
平成28~29年-冬
 | HOME | Next »