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2019/04/05.Fri

平成29年-春-(29) これから

 四十九日法要と納骨の翌日に、俺は思った。

 納骨も終わり、ようやく一区切りしたが、これから俺は、どうすればいいのだろうか?

 正直もう疲れたし、我が身を振り返れば、40代後半で無職、自分の配偶者も子供も恋人も友人もいない…

 腰痛・坐骨神経痛・自律神経の不調などは、ある程度の改善の余地はあるとしても、生きている限り、ずっと悩まされ続けるだろう。

 俺の住む県では、公共のメディアや場でウソをついた側が大多数の権力側で正義である状況も変わりなく、事情を知っていてそちらに味方しない俺に明るい未来は無いし、他のところで新しい生活を始める気力も無い…

 結局、これからの人生は辛くて苦しいだけで、うれしいことや楽しいことは何もないから、自殺しようと思った。

 しかし、まだ相続が残っていて、生きる気力のない俺は父親の資産を何も受け継ぐ気はないが、母親や弟に面倒をかけないためには、俺が父親の相続にかかわる手続を終わらせるしかない。

 それに、一人では少し遠い外出も難しい母親のために、また、すぐ死ぬことは弟一家への大きな迷惑になることも考え、もうしばらく生きることにした。


 特養に入居した後の一時帰宅を実現できなかったことが一番悔しいが、様々な、父親への対応の間違いと不足…

 公共のメディアや場でウソをつき、認知症で困って・苦しんでいても正直に努力している認知症の人とその家族を追い込んだり見捨てたりするような認知症の家族会に、そのウソを確信する前までとはいえ、協力していたこと…

 その家族会からの脅迫(少なくとも妨害や嫌がらせ)があったとはいえ、地域の若年性認知症の人とその家族を支援する活動を早々にやめてしまったこと…

 これらの罪を背負っていることも充分に承知しているが、なるべく周りに迷惑をかけない消え方・死に方を考えながら、もう少しだけ、生きてみようと思う。

 もう少しだけ…



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平成29年-春
2019/04/03.Wed

平成29年-春-(28) 四十九日法要

 平成29年(2017年)の6月初め、俺の住む地域は雨が多く、少し寒いくらいの日もあって、カレンダーとしては夏かもしれないが、俺の実感は「春の終わり頃」だった。

 葬儀社の人が、俺が頼んでおいた「お骨壺」を我が家に持ってきてくれた。

 その数日後の朝、俺と母親は、家の仮祭壇に置いてあった‘お骨箱’などを自家用車に積んで、まず花屋へ行き、注文していたお寺用とお墓用の2セットの供花を買ってから、寺に向かった。

 俺の弟一家、親戚などが合わせて20人くらい寺の本堂に集まり、四十九日法要が始まったが、弟の小さな子供たちがはしゃぎ回り、大変だった。

 この子たちのおかげで暗い雰囲気になり過ぎなかった、とも言えるが。

 法要が終わると俺と母親は、住職の指示で、父親の「お骨」を箱から壺に移した。

 住職、そして法要の参加者ほぼ全員が自家用車に乗り合って、少し離れた墓地に移動して、昼少し前に小雨の中、納骨をした。

 納骨が終わると、そこにいた全員が、また自家用車に乗り合って、父親の葬儀・告別式などをした斎場に移動した。

 斎場のホールを仕切ったホール全体の半分くらいのスペースで、昼過ぎから食事会をした。

 進め方や段取りが決まっていて、その中で俺は喪主としてしなければならないことが多くあったが、なんとかこなした。

 食事会が終わると、俺と母親は参加者の見送りをしてから、帰宅した。


 父親が亡くなった後のことで、俺が最低限しなければならないことは、終わった…



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平成29年-春
2019/03/31.Sun

平成29年-春-(27) 薬の疑念と後悔

 父親が総合病院へ2回目に入院した際、コーヒーのような色の物を吐いた原因が、最初は血と言われていたのが、その後は不明ということになってしまった(平成28~29年-冬-(26) 参照)。

 俺は、「その原因は、貧血の改善のために父親が飲まされていた、黒い鉄分を補給するフェロミアではないか?」という疑念をずっと持っていた。


 父親の葬儀が終わってしばらくして、知り合いの(といってもたまにしか会ったり連絡を取り合ったりできない)医療関係者(平成27年-夏-(9) 参照)に会った際に、その疑念と、その頃の父親の状態について話したら…

 医師は、患者に貧血の治療でフェロミアを飲ませ始めたら、定期的に・こまめに血液検査を行い、その結果が出る度に(患者本人に無理な場合は)家族に対して、その結果や数値を示しながら、フェロミアを続けるかどうかを含めた説明をするはず、とのこと。

 俺は、そのような説明は無かった、と答えると…

 “認知症の人だから、本人に説明できないから”といった理由で省略できる説明ではないし、医師が自分で「身体が弱っている、終末期」と診断しているなら、より丁寧な説明や慎重な対応が求められるので、その説明が無かったというだけでも変だが…

 まず、(俺の父親が)フェロミアを飲み始める前と、飲み始めて以降の血液検査の結果の写し(コピー)がほしいと言ってみてはどうか、とのことだった。


 「もう父親は亡くなっているし、あの往診医師・担当医師では出してくれないだろう」と俺は思ったが…

 ダメもとで、父親が入居していた特養(特別養護老人ホーム)の生活相談員さんを通じて、血液検査の結果の写しを頼んでみたら、手間はかかったが入手できた。

 それを見ると、父親はフェロミアを飲み始めてから、ある程度は貧血が改善したが、服用していたフェロミアの量からすると、改善の度合いは小さかった。


 その後また、この5月下旬までに、知り合いの医療関係者に会う機会があって、俺が血液検査結果の話をしたら…

 貧血の改善に足りていない(使われなかった)分が排泄されていれば、つまり、便がフェロミアの鉄分で黒い、ということが続いていたら、特に心配することはなかっただろうが…

 便が黒くなかったとしたら、フェロミアの黒い粉が胃や腸に残っていて、飲食物の消化・吸収を妨げて父親を弱らせ、また…

 口から吐いた物がチョコレート色だったのは、消化・吸収を妨げられた飲食物と共に、胃や腸に溜めきれなくなったフェロミアが出てきた、という可能性があるそうだ。

 もともと、身体が弱っている人には鉄分が吸収されにくい、ということもあるらしい。


 俺は、父親がフェロミアを飲み始めて以降の「看取りファイル」に、ほんの数回、父親の便が黒いという記述があったことを思い出した。

 本当に少ない回数なので、この時以外の便か黒くなかったら、フェロミアが胃や腸に残って悪さをしていた可能性が高いが…

 “排便があったら毎回のように便が黒かったものの、それがあたりまえになって、毎回わざわざ書かれなくなった”ということもありえるので、この場合は、充分にフェロミアは排泄されていたことになるだろう。


 俺は、父親がフェロミアを飲んでいた時期の便の色について特養に確認したかったが…

 その時期からしばらく経ってしまっていること、病院の方が強い特養との提携関係、それでも血液検査のコピーを入手するために特養が病院に対してがんばってくれたらしいこと、などを考えたら…

 もう俺は確認する気になれず、疑念と後悔が残ってしまった。



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平成29年-春
2019/03/29.Fri

平成29年-春-(26)

 平成29年(2017年)の5月下旬、俺の住む地域は、晴れた日の昼は初夏のように暑くなり、雨が降ると春の初め頃のようにだいぶ涼しくなるなど、天気はコロコロ変わった。

 俺は、理容室に行ってヘアカットしてもらい、また、皮膚の症状で処方されている薬が少なくなってきたので、皮膚科医院を受診した。


 母親が耳鳴りを訴えたので、俺は自家用車を運転して、母親を耳鼻咽喉科医院に送迎した。

 受診した母親は薬を処方され、それを飲み続けたら、耳鳴りは徐々に治っていったようだ。


 それからほどなく、耳鳴りがおさまってきた母親が、今度は目に違和感があると言ったので、俺は自家用車を運転して、いつもの眼科医院に母親を送迎した。

 俺も、経過観察になっている目の症状で、まだ自分の目薬は充分に残っていたが、ガソリン代を節約したくて一緒に受診した。

 母親の目の違和感は、この受診の数日後にはおちついたようだ。


 この時期になっても、たまにだが、弔問客が家に来ることがあった。

 俺と母親は、父親の葬儀・告別式に参加して弔辞を読んでくれた、父親の古い友人(といっても父親が若年性アルツハイマーになってからは疎遠だったが)の家に行って、お礼の品を渡した。

 俺と母親は、墓参りと墓掃除をするために、我が家のお墓のある墓地に行った。

 もうすぐの四十九日法要の日に納骨もするので、しっかり掃除して、できるだけ汚れを取り、墓の一部を動かしてお骨の入れ方を確認した。


 この5月下旬のうちに、5月中旬に発送した手紙(平成29年-春-(25) 参照)の返事、つまり四十九日法要への出欠の連絡が、全て我が家に届いたので…

 それを基に俺は、法要の席順・引き物などについて葬儀社の人と打合せをした。


 母親は、体調が悪くなくて、外出や他の用事がない時は、父親が使っていた物(主に衣類)を整理している。

 自分で自由に動ける・作業できる時の俺は、父親の口座の手続について銀行に行って聞くなど、相続に係わることを少しずつ進めている。



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平成29年-春
2019/03/25.Mon

平成29年-春-(25) 最後の生活記録

 5月中旬に入った日、葬儀社の人が我が家に来て、四十九日法要に参加してもらう20人くらいの親戚に送る案内・出欠確認の手紙と、それを入れる封筒を持ってきてくれたが…

 もちろん、手紙の宛名は空欄で、封筒も真っ白だった。

 俺は自分のパソコンとプリンタを使って、手紙の宛名部分と封筒の両面を印刷したが、ほとんど失敗できないので(予備がわずかなので)1枚ずつ確認しながらやったら、だいぶ時間がかかったし、疲れた…

 俺は字が下手なのでそうしたが、手書きで丁寧に書いた方が、ましだったかもしれない。


 その翌日、俺はいつものように自家用車を運転して、まず寺に行き、前日に作った手紙の一つを住職に渡してから、6月上旬の法要について細かい打合せをした。

 それから法務局に行って、相続の準備として、父親名義の不動産の登記簿謄本を入手した。


 その次の日に俺は、作った法要の手紙(寺に持っていったもの以外の全部)をポストに投函し、また、延期していた歯の定期検診を受けるために歯科医院へ行った(平成29年-春-(21) 参照)。

 この5月中旬の別の日に、母親も、父親が亡くなったために延期していた歯の定期検診を受けた。


 俺と母親は、相続のために実印を作ることにした。

 というのも、俺も母親も俺の弟も、苗字だけの似たような実印しか持っておらず、相続の文書は相続人全員が押印しなければならない場合が多い訳だが、そうすると、非常に紛らわしく・わかりにくくなることに気づいたからだ。

 という訳で、ハンコ店で、できるだけ費用を抑えてフルネームの実印を作ってもらい、購入した。


 俺は、インターネット上で遺産分割協議書の書式をダウンロードして、わかるところ、決まっているところを記入してみた。


 父親が入居していた特養(特別養護老人ホーム)から、父親についての最後の請求書や生活記録が届いた。

 その生活記録によると、亡くなる二日前までの父親は、尿・便が出にくくなっていたこと以外は、特に問題や変化はなかった。

 亡くなる前日は、好きなコーヒーを全く飲もうとしなかったが、入浴はした(入浴介助を受けた・受けられた)ようで、「もう好きなものもいらないが、きれいな身体で最後を迎えたい」ということだったのだろうか…

 亡くなった当日の朝のことについては(当然だが)、その日に俺が直接、特養でスタッフさんたちに聞いたことと同じ内容が書かれていた。



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平成29年-春
2019/03/23.Sat

平成29年-春-(24) 次の人

 平成29年(2017年)の5月上旬、俺の住む地域は穏やかな天気で始まったが、ゴールデンウィークの終り頃の二日間は初夏のような暑さになり…

 その直後の二日間は、気温は平年並みに戻ったが風が強くて、地域ニュースによると黄砂も飛んできていたようだ。

 この時期になると、弔問客が家に毎日来ることはなくなったが、言い換えれば、まだ時々来ていて、その度に俺と母親が応対している。


 俺は、母親が父親の遺族年金と死亡保険金を受け取れるようにするために…

 市役所や公民館で課税証明書、戸籍謄本、印鑑証明書などを入手したり、父親が入居していた(特養を含む介護)施設に行って生計同一を示す書類に記入捺印してもらったりした上で、書類を作成し、指定されたところ提出(郵送)した。

 俺が書類に記入捺印してもらうために施設に行った時は、偶然だが、父親が入居していた特養の部屋に次の人が入居する日・時刻で…

 その人は、家族が押す車椅子に座っていた男性のお年寄りで、施設のロビーですれ違った際に俺は、「こうして変わっていくんだなあ」と思った。


 葬儀・告別式の直後に繰り込んだ法要(平成29年-春-(20) 参照)と6月上旬に予定している四十九日法要以外の全ての法要を、ゴールデンウィーク中の弟一家の都合のよい日に行った。

 といっても、俺と母親が供花と供え物を買って寺に行き、弟一家と合流し、本堂で住職にお経をあげてもらい、その後に和風レストランで食事をしただけだが、寺でもレストランでも弟の小さな子供たちが走り回り、大変だった。


 ゴールデンウィークが明けた頃に葬儀社の人が来宅して、俺と四十九日法要の打合せをしてから、仮祭壇の脇に立ててあった盛篭と花(平成29年-春-(20) 参照)を分解して、その盛篭と供花のスタンドを引き取って行った。


 俺が自家用車を運転して母親とホームセンターに行き、畑の土、野菜苗などを買ってきて、それを使って母親は、今年も家の一角の小さな畑を始めた。

 俺と母親は、父親にかかわる書類の整理なども始めたが…

 俺は胃痛が出やすくて胃薬に頼らざるを得ない状況が続いており、母親は、いつもの高血圧などに加えて、最近少し息苦しいという症状で、かかりつけの内科医院を受診した。



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平成29年-春
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