FC2ブログ
2009/06/30.Tue

平成15年-春-(1)

 父親の運転していた車をどうするか、が大きな問題になっていた。

 もう父親には運転させられないし、家で運転できるのは俺だけで、2台を所有する経済的な余裕も2台を運転する時間的余裕もない。

 かといって父親の車を処分することにして、そのことを父親に言えば、怒ってしまうか落ち込んでしまうのは目に見えていた。
 黙って処分しても同じ、いや、もっとまずいことになるだろう。


 ずっと家にあって運転していた自分の車がなくなれば、ここは自家用車がなければ何もできないような所でもあるし、父親の喪失感は大きいだろう。


 そんな時、弟から「自分の車が古くなったので買い換えたい」という話を聞いた俺は、父親の車を俺の弟に使ってもらえばよいのでは、それなら父親も受け入れてくれるのでは、と考えた。


 弟が時々、父親が運転していた車で家に来てくれれば父親の喪失感も和らぐだろうし、信頼できる人間が困っているので使わせている(貸している)と父親に思ってもらえれば、車を運転できなくなって傷ついたプライドも少しは癒されるのではないか。


 俺は母親と相談した上で、まず、新車を買いたいと思っていた弟に、無理を言って父親の車を引き取ってくれるよう頼んだ。

 弟が了承してくれたので、その後父親に、父親が運転していた車を「弟がどうしても必要だから使わせてやってほしい」と言って説得したら、なんとか受け入れてくれた。


 父親の車を家に残して俺が運転し、俺の、より新しい車を弟に譲るという手もあったが、父親の車が家に残っていると父親が運転したがる危険があった。


 父親は、それ以前もその後も、俺の車を運転しようとはしなかった。

 理由は、俺の車は俺が運転するものであり、それまでの習慣で自分は助手席に座るものと決め付けてしまっていたか、自分の運転していた車とはまったく違う車種の俺の車を運転することに抵抗があったか、あるいはその両方だったと思う。


 父親は、弟が引き取ってくれた時は状況を受け入れてくれたようだったが、その後しばらく、弟が、父親がかつて運転していた車で家にくると、「かえってきた」と言い、他の人から「車はどうしたの?」と問われると、「息子にとられた」と答える期間があった。

 ただ、「とられた」と言った時も特に怒っていたわけではなく、わりと冷静で、やがてそういうことも言わなくなった。



ランキングや拍手をクリックして応援していただけると、うれしいです。

  にほんブログ村 介護ブログ 若年性認知症へ
平成14年-夏~15年-春
2009/06/30.Tue

平成14~15年-冬-(3)

 父親の状態がおちついたので、俺は、ひっかかっていたことを調べることにした。

 それまで何の不安、不満もなく働いていた父親が、なぜ急に「仕事がわからない、辞める」と言い出したのか、ひいてはうつ病にまでなってしまったのか。


 そのあたりのことを父親に聞くのは、覚えていないかもしれないし、覚えていたとしても話すことがストレスになって身体によくないだろうから無理だ。
 俺が自分で調べ、調べてわからない部分は推測するしかない。


 父親が最後に任された仕事について、前の職場に聞くと、父親が働いていた団体とかかわりのある県の外郭団体が解散することになり、その責任者に形だけなってもらうという仕事、とだけわかった。


 県にかかわることであれば、県の情報公開制度を使ってある程度調べることができることを知った俺は、仕事で県庁方面に行く用事があった時に、県庁の情報公開室に立ち寄り、父親の最後の仕事にかかわる資料のコピーを出してくれるよう申請した。


 後日、そのコピーを入手して内容を調べたのだが、解散直前の貸借対照表と財産処分のページを見て、俺は思わず首を傾げた。

 貸借対照表を見ると、もう何年も活動していなかった団体だからだろうが、借金はなく、その一方で、数千万円の現預金があった。
 その後に財産処分を見ると、この現預金が寄付という形で、国の外郭団体と県の別の外郭団体に渡っていたのである。

 何らかの事情があったのだろうが、以前から苦しい財政状態にある県が、いろいろ支援してきたはずの外郭団体を解散させるにあたって、その財産がまったく県に入らなくてもかまわないというのでは、納税している一般の県民は、理解に苦しむものがあるだろう。


 認知症は、覚えることはできないが、感じることはできるという。

 俺の推測だが、認知症が進んでいた父親は、解散についてある程度内容を知ることはできたものの、寄付の事情を理解することができず、団体の理事ではなく一般の県民の感覚で、この財産処分は変だと感じたか、あるいは…

 父親はまじめで融通がきかないから、名前だけの責任者でその必要はないのに、全体を理解しようとしてできなくて、うつ病になるくらい悩んでしまったのではないだろうか。



ランキングや拍手をクリックして応援していただけると、うれしいです。

  にほんブログ村 介護ブログ 若年性認知症へ
平成14年-夏~15年-春
2009/06/30.Tue

平成14~15年-冬-(2)

 弟に子供が生まれた。
 俺の父親にとっては初孫になる。

 弟家族には彼らの生活があるし、近所で暮らしているわけでもないし、小さい子供には気分や調子の良し悪しもあるから、俺の父親がそう頻繁に孫に会える訳ではなかった。

 それでも、孫に会う時の俺の父親はいつも穏やかで、会うこと自体に認知症の進行を遅らせる効果があるようにも思えた。



ランキングや拍手をクリックして応援していただけると、うれしいです。

  にほんブログ村 介護ブログ 若年性認知症へ
平成14年-夏~15年-春
2009/06/29.Mon

平成14~15年-冬-(1)

 ある日の夕方、家で、家族3人で夕飯を食べながらテレビの地域ニュースを見ていたら、父親が以前働いていた病院が映った。

 その病院で重大な医療ミスがあったということで、2年近く前に俺の父親の認知症(の可能性)を伝えに家に来た病院の人(平成12~13年-冬-(2) 参照)も、テレビの中で頭を下げていた。

 父親もその映像を見ていたが、何があったかよくわからないようで、俺に尋ねてきた。

 俺は、父親が以前働いていた病院で重大な医療ミスがあったこと、それは父親が辞めた後のことだと答えた上で、「この医療ミスがあった時にまだ働いていたら、たいへんだったね」と言うと、父親は少しホッとしていた。


 俺は、翌朝に新聞を読んで、もう少し詳しい内容を知った。

 医療ミス自体があったのは俺の父親が病院を辞めた少し後で、それから数ヶ月、世間にも、医療ミスで大変な身体になった患者とその家族にも、ミスがあったことを隠していたようだ。


 後で俺が母親から聞いたところ、昔の話だが、医療ミスが起きた際に対応する責任者を俺の父親が担当していた期間に、一度だけ医療ミスが起きて、その時の父親は、すぐにミスを認めて謝罪したそうだ。

 今回ほど重大なミスではなかったようだし、隠すに隠せないミスだったからかもしれないが。



ランキングや拍手をクリックして応援していただけると、うれしいです。

  にほんブログ村 介護ブログ 若年性認知症へ
平成14年-夏~15年-春
2009/06/29.Mon

平成14年-秋-(3)

 俺は、父親の退職にかかわる後始末の一つとして、父親が職場に合わせて持っていたB社の携帯電話(平成13年-秋-(1) 参照)を解約した。

 父親は携帯電話をほとんど使っていなかったし、執着もなかったので、特に問題なかった。


 父親の職場に行った最後の日に、60代に見える男性が俺に声をかけてきて、隣にいた顔なじみの(になってしまった)若い職員に、そこのトップである理事長と紹介された。

 その人は、俺の父親の健康を気遣うようなことを言ってくれたが…

 はっきりしたことはわからないものの、この人は俺の父親がうつ病になったことについて、まったく無関係ということはないだろうから、そういう点で俺は複雑な心境だった。



ランキングや拍手をクリックして応援していただけると、うれしいです。

  にほんブログ村 介護ブログ 若年性認知症へ
平成14年-夏~15年-春
2009/06/28.Sun

平成14年-秋-(2)

 その後の父親は、「仕事ができなくなって、そのうえ後始末を息子にやってもらって情けない」と言って、ずっと落ち込んでいた。


 俺は、母親、そして父親の認知症の主治医と相談し、父親の職場には、今になって「認知症(若年性アルツハイマー)だった」と言っても話がややこしくなる可能性があるので、「うつ病とその後遺症がひどい」ということで退職の話を進めることにした。


 俺は、昼は自分の仕事、その合間に父親の退職にかかわる手続、父親の職場に行って父親の机の整理、病院に父親の診断書をもらいに行くことなどに追われ、家に帰ると、うつになっておちこんでいる父親を元気づける、という生活が続いた。


 夜中に父親が泣き出したりして、母親は一人でなんとかしようとしたが、どうしようもなくなって俺を起こしにきて、二人で父親をなぐさめたことも何度かあった。

 父親は、「走っている車の前に飛び込む」と言ったりもした。


 こうなると、俺と母親は、父親に入院や施設に入ってもらうことを含め、介護保険のサービスを受けてもらうことを考えた。


 しかし、徐々に父親の精神状態がおちついていき、仕事を辞めた喪失感はあるようだったが、それなりに日常生活を送れるようになったので、俺は、もうしばらく様子を見ることにした。

 父親に徘徊等の家族以外の人にも迷惑をかけるような異常行動が現れた場合や、母親の心身がまいってしまいそうになった場合は介護保険のサービスを受ける、という方針でいくことにした。


 数年前から、収入はわずかだが、母親が内職をしていた。

 父親は少しおちつくと、母親の内職の単純な作業部分を手伝い始め、次第におちついていった。
 単純な作業ならできたこと、働いていると思えたことが、父親にとってよかったのだと俺は思う。



ランキングや拍手をクリックして応援していただけると、うれしいです。

  にほんブログ村 介護ブログ 若年性認知症へ
平成14年-夏~15年-春
 | HOME | Next »