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2010/12/29.Wed

平成22年-春-(4)

 父親は、ショートステイから帰宅した翌日から2日連続でデイサービスがあった。

 俺は、頭も身体も疲れているのに寝つきが悪い状態が数日続いていて、父親の身体介助が主な原因だと思うが、腕や足に痛みもある。

 こんな時に限って、両日とも朝の父親は興奮や抵抗があり、怒鳴り、介助する俺の首や腕を、爪を立ててつかみ、俺も母親も、きつかった…

 父親は入院前の状態に戻ったような感じで、「また入院させなければいけないのか?」と俺も母親も思った(平成20~21年-冬-(21)-(22) など参照)。

 両日とも、デイサービスから帰ってきた後(から夜まで)は、積極的に何か言おうとする、好きな曲をかけたらそれに合わせてハミングしようとするなど、わりと状態がよく、デイサービス中も穏やかだったようだ。

 デイサービス中の父親は、リハビリでは自分から身体を動かすことがあった、はっきりわかる発語(単語)が少し増えた、などの話が送迎スタッフさんからあって…

 父親は、良い意味でも悪い意味でも元気になった、ということなのかもしれない。

 デイサービスやショートステイ中に興奮や抵抗、怒鳴り声などがひどくなったら入院してもらうしかないが、今のところ、そのようなことはなさそうなので…

 俺も母親も、しばらく父親を入院させずに様子を見ることにした。

 明日の朝が怖いが…



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平成22年-春
2010/12/28.Tue

平成22年-春-(3) 祖母の長期入院

 父親は、一日中家にいた翌日から3泊4日のショートステイがあり、俺はフラフラになりながらも、なんとか父親をショートステイに送り出した。

 その後、俺はなるべく身体を休めて昼寝もしたが、疲れは抜けず、身体はふらつき、食欲もないし、頭痛まで出てきた。

 この状態は翌日(父親の3泊4日ショートステイ2日目)の昼まで続いた。


 父親の3泊4日ショートステイ3日目、俺と母親は、もう7ヶ月以上同じ病院に入院し続けている祖母(俺の母親にとっては実母)に会いに行った。

 祖母は脳梗塞で倒れた後、麻痺で身体の半分以上が動かなくなり、話せなくなり、脳血管性認知症と思われる症状も出てきた。

 病院がリハビリをしてくれているようだが、その効果が出ているようには、あまり見えない。

 とはいえ、今の時代、病院の療養病床にこんなに長く入院していられることは普通ないのに、祖母が入院し続けていられるのは…

 この病院が、退院したら行き場所がなかったり大変なことになったりしそうな入院患者をできるだけ長く入院させてくれることもあるが…

 祖母は90代後半という高齢もあり、肺炎になるなどして一般病床に移されることが、これまで少なくとも2回あって、その時に、あらためて入院したことになったからのようだ。

 ただ、あらためて入院したことになるためか、こういうことがある度に病室が変わり、面会する側としては少し戸惑う。

 祖母を見舞った後、俺と母親は(俺からすると)叔父(祖母の長男、俺の母親にとっては実兄)の家を訪ねた(平成21年-夏-(50) 参照)。

 叔父から、祖母の家や家財道具を処分するという話があった。

 俺も母親も、祖母の帰るところがなくなることに抵抗はあったが、自分の父親のことで精一杯なので、何も言えない…


 3泊4日のショートステイの4日目の夕方、父親が帰宅した。

 帰宅してからの父親は、おちつきがなかったり、歩く時はヒザから崩れて倒れそうになったりと、介助する俺も母親は大変だったが…

 夜、寝る少し前になったら、父親は笑顔を見せ、それから寝るまでの間、声がけやテレビからの音に対する反応が良かった。

 音に対する反応が良かったのは、そうなる少し前に俺が父親の耳掃除をして、大きな耳カスがとれたからだろうか。



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平成22年-春
2010/12/27.Mon

平成22年-春-(2)

 ショートステイから帰ってきた翌日、父親はデイサービスもショートステイもなく、家にいた。

 日中は、歩き回りが少なく、笑顔を見せてくれることもあった。

 家で父親の笑顔を見たのは、本当に久しぶりだ。

 父親は夜になって(下痢便の)便失禁があり、俺と母親がトイレ誘導やオムツ交換をしたら、その直後にまた便失禁ということが続き、結局…

 便失禁とその後始末が4回あり、俺も母親もヘトヘトになってしまった。


 父親は、家にいた翌日はデイサービスがあった。

 明日はまた父親が(デイサービスもショートステイもなく)家にいる日なので、父親のデイサービス中、俺は少しでも休みたかったが…

 しなければいけない日用品、飲食良品の買い物はあったし、今月の支給オムツが届いてその受取りと確認もあり、父親が家にいる時は何があるかわからないので、入浴も父親のいない昼間に済ませなければならず、ほとんど休めなかった。

 俺はここ数日、夜寝る時も(できる時間がある場合の)昼寝をする時も、身体はひどく疲れているし、睡眠不足なのに、寝付けないことが多い。

 苦しかったり金縛りのようになったりすることもある。

 夕方、父親がデイサービスから帰ってくると、いつもよりさらに抵抗が強く、言葉にならない文句(?)や発声も大きく、多い。

 こんな状態が夜寝る時まで続いた。


 デイサービスの翌日、父親はデイサービスもショートステイもなく、家にいたが、この日はやたらと発声が多かった。

 文句のような声を出し続けることも何度かあり、夕方の「(俺への問いかけの?)すいません」以外は、何を言っているのか全然わからなかった。

 それでも俺と母親は、父親が発声する度、おちつかせるように応じなければならず、きつかった。

 夜、父親をベッドに寝かせた後、俺はフラフラになっていた…



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平成22年-春
2010/12/25.Sat

平成22年-春-(1) トイレ手すり撤去

 昨日はデイサービスもショートステイもなくて家にいた父親(68歳)は、今日から3泊4日のショートステイだ。

 父親を送り出した後の俺(40歳)は、午前中はなんとか自分の部屋の掃除などをしたが、午後は疲れきって昼寝をした。

 昼寝といっても、全然穏やかなものではない。

 身体はフラフラで、頭はまともに考えられず、倒れこむように横になる。
 頭も身体も疲れていて、明らかに睡眠不足なのに、寝つきが悪いことも多い。

 しばらく寝た後、目が覚めても身体が動かず、起き上がるまで時間がかかる。

 昨日と3日前に父親が一日中家にいたことが、大きいだろう。
 デイサービスが一日しかない週は、二日ある週よりも、ずっと疲れる…


 父親のショートステイ中の別の日には、介護に関するフェアに母親(65歳)と行ってきた。

 今の在宅介護生活を少しでも良くするために役立つ福祉の用具、サービス、情報などを知りたかったのだが、正直、今の家での生活に合うものは無かった。


 また別の日には、業者さんに家に来てもらって、トイレの手すりを外した(平成20年-秋-(1)平成20~21年-冬-(24) 参照)。

 今が平成22年(2010年)の春で、取り付けたのは平成20年(2008年)の秋だから、トイレに手すりがあった期間は約1年半だった。

 父親の腕や手の指の関節が拘縮して、つかみたくてもつかめないようだから、もう父親にとって手すりは、あまり意味がないし、むしろ、ぶつかってケガするリスクになっている。

 介助する俺にとっても、父親がつかんでくれない以上、狭いトイレで介助の動きを更に制限する邪魔なものでしかなくなっている。

 手すりは住宅改修による取り付けではなく、取り外しが(比較的)楽にできる福祉用具の手すりにすべきだったと思う。

 とはいえ、我が家のトイレの狭さでは、福祉用具の手すりを設置することは困難だったが…


 父親がショートステイから帰ってきた時、頭に小さな傷があり、薬が塗ってあったのだが、ショートステイ先からの連絡の書面には、この傷のことは書いてない。

 俺はショートステイ先に電話し、父親の頭の傷について尋ねたら…

 今日の帰宅する少し前に、スタッフ全員の目が父親から離れていたわずかな間に傷ができていて、前後の状況から、尻餅をつくように転び、ソファに頭を擦ったようだ、とのこと。

 父親に痛みや違和感はなさそうなので、様子を見ることにした。


 手すりがなくなったトイレでも、父親に、特に違和感はないようだ。

 俺にとって、あいかわらず父親のトイレ介助は大変だが、父親と俺の身体を手すりにぶつける心配や痛みがなくなったことだけは、良かった。



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平成22年-春
2010/12/22.Wed

11年の時が流れて-(2)

 …前(下)の記事~ 11年の時が流れて-(1) ~の続きです。

 今回は私(作者)が、これまで書いてきたこのブログ(小説)をふりかえり、何があれば、‘父親’がもっと良い状態でいられたのか、‘俺’と‘母親’の苦しみや負担を減らすことができたのか、そして、今(平成22年の春先)の‘俺’の葛藤を少なくすることができるのか、を思いつくまま次に列挙してみます。

 ただし、‘俺’一家が住む地域にしかあてはまらないものもあります。

○若年性アルツハイマーの進行を遅らせる(アリセプト以外の)薬、望まれるのは進行を止める薬、さらに望まれるのは治す薬

○若年性認知症の人専用の小規模施設(もしも私に…TVシンポジウム「認知症とともに歩む 若年性・本人の思いを聞く」を観て 参照)

○社会、特に職場の若年性アルツハイマーに対する理解、若年性認知症の人は若年性認知症に理解のある同僚や部下と常にコンビで働く形にするなど

○介護の大変さ(だけ)で決まる、寝たきりにさせない・自立に向けた努力とその成果が正しく評価される要介護認定制度(NNNドキュメント「寝たきりアパート」 参照)

○医療・看護・介護サービスが包括的・効率的に受けられ、また、現状と所得に応じてできるだけシンプルに保険料とサービス利用自己負担額が決まる、公的な(統合された)健康・介護保険(要介護認定の再考-(1)-(2)-(3)-(4) 参照)

○若年認知症の人とその家族を支援する家族会的なもの(老年性認知症の人とその家族の家族会とは別のもの)

○若年性認知症専門の相談窓口・フリーダイヤル(地域密着のもので、老年性認知症のそれとは別にする)

○充実した訪問診療・看護の体制

 これらは、現在の若年性認知症の人とその家族みんなに必要、とも言えるのではないのでしょうか。

補足と意見
2010/12/21.Tue

11年の時が流れて-(1)

 私(作者、oretomo)からあらためて申し上げるのもなんですが、このブログ(小説)の内容は、基本的に全て事実です。
 なぜ「基本的に」かというと、登場する人物への配慮などから、複数の事象を一つにまとめて表現したり、あえて書いていないことがあったりするからで、これらの点はご了承ください。

 さて、この記事のタイトルに沿った話に戻ります。
 ‘父親’は、最初の主治医(この先生は認知症専門医です)に若年性アルツハイマーと診断されたのが59歳の春で、「遅くとも2年前(57歳の春)には発症していた」とのことでした(平成13年-春-(2) 参照)。

 このブログ(本文)は平成22年の春に入ろうとしておりまして、‘父親’は68歳ですので、発症から少なくとも11年は経っていることになります。

 若年性アルツハイマーは、一般的には、症状の進行が速く、数年で寝たきりになったり亡くなったりするとも言われています。

 しかし 、今(平成22年の春先)の‘父親’は、発症から11年以上経っても寝たきりになっていません(いつ寝たきりになっても不思議ではない状態、とも言えるかもしれませんが)。

 ただ、‘父親’が寝たきりになっていないのは、‘父親’本人や‘俺’、‘母親’の多くの苦労や犠牲によるところが大きいと思います。

 また、‘俺’には、「‘父親’を寝たきりにさせたほうが、自分も‘母親’も今より楽になるのではないか、‘父親’本人にとっても楽なのではないか」という葛藤もあるようです。

 次の記事に続きます…

補足と意見
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