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2011/11/30.Wed

平成23年-春-(24)

 デイサービスの翌日の父親は、デイサービスもショートステイもなく、定期受診で精神病院に行くことになっていた。

 午前中、いつものように父親、母親、俺の家族3人で、福祉車両の自家用車で精神病院へ行ってきた。

 この日は天気がよくて俺と父親が花粉対策でマスクをつけていたこと以外、俺の運転、90度回転させて乗り降りさせられる助手席に父親を座らせる、車の後ろに車椅子を乗せるといったことは、いつもと同じだ。


 病院の待合スペースで診察の順番を待っていた父親は、最初のうちは時々うなるものの車椅子に座っていてくれたが、徐々におちつきがなくなり、何度も車椅子から無理に・不安定に立ち上がるようになった。

 そんな状態で、診察の順番が来てしまった。
 俺が3人分の荷物を持ち、母親が父親の乗る車椅子を押して診察室に入った。


 診察中の父親は、最初は険しい表情だったが、父親の認知症(若年性アルツハイマー)の主治医から声をかけられると、それに対して発声し、その後は少しおちついた。

 主治医は目の前の父親を診ながら、前回(大地震の日の午前中)の受診から今日までの父親について、俺が箇条書きにした手紙、介護施設が主に父親のショートステイ中のことをまとめた記録、といったものを読み、そして俺と母親に質問や話をした。


 俺が主治医に、大地震発生時に父親が笑顔だったことを伝えると(平成23年-春-(2) 参照)、「認知症だから、大きな揺れは感じることができても、それが地震や災害とは理解できなかったからだろう」とのこと。

 つまり、大きく揺れるという非日常的なことが少し楽しく感じられたから笑顔になってしまった、ということらしい。

 その笑顔を見た時の俺は、「こんな時に、どうして笑っていられるんだ!」と父親を怒りそうになったが、主治医の話も含めて今になって考えれば、おちついて笑顔でいてくれたことは、驚かれたりパニックを起こされたりするより、ずっと良かった。

 そういえば、特養(特別養護老人ホーム)に脳梗塞でずっと入所していて、脳血管性認知症の症状が見られる祖母も、「大きく揺れていた時は楽しそうだった」とスタッフさんが言っていた(平成23年-春-(8) 参照)。

 次の記事に続きます…

平成23年-春
2011/11/28.Mon

平成23年-春-(23)

 一日中家にいて往診があった翌日から、父親は4泊5日のショートステイだった。

 9:00過ぎにショートステイの送迎車が家に来て、父親を送り出した。
 その際に送迎スタッフさんに、俺の父親について「大地震後の環境変化についていけず、状態が悪くなったようだ」と言ったら、次のような話が返ってきた。

 ショートステイを定期的に利用していた内の一人の方が、大地震前はおだやかに過ごしていたのに、精神状態・症状が悪化して、入院してしまった。
 その人の主治医は、「大きな地震、その後の停電と物資不足により、それ以前と同じ生活ができなくなった、同じ介護が受けられなくなったことによるストレスが悪化の原因だろう」と言ったそうだ。


 父親のショートステイ中、俺は、母親の送迎・付き添いで心療内科医院に行った。
 母親は、大地震の起きた数日後の前回(平成23年-春-(9) 参照)よりは良い状態と診断された。
 薬はこれまでと同じで様子を見ていくことになった。

 心療内科医院の後は眼科医院に行き、ここでは俺も受診した。
 俺は、いつもの症状の他に(今年は)花粉症による目のかゆみが強いので、それを抑える目薬も出してもらった。

 その後、スーパーで買い物をした。
 ヨーグルトが増えて、パンの安売りも復活した。


 いつもより遅めだったが、市の支給紙オムツが家に届き、俺も母親もほっとした(平成23年-春-(14) 参照)。


 4泊5日ショートステイ5日目の夕方、父親は予定通り帰宅した。
 今回は、比較的おちついていたようだ。


 ショートステイから帰宅した翌日の父親は、デイサービスがあった。

 夕方、父親がデイサービスから帰宅した際、俺がいつも通り(洗面所での手洗いが困難なので、その代わりに)除菌ウエットティッシュで父親の手を拭こうとしたら、父親は急に怒って(険しい表情で大きくうなって)、俺の手を払いのけた。

平成23年-春
2011/11/26.Sat

平成23年-春-(22)

 ショートステイから帰宅した翌日の父親は、デイサービスがあった。

 早朝、俺は自分の部屋で、苦しくて目が覚めた。
 大地震の後の俺は、(父親の介護が大変になって)身体の痛む箇所が増えたことに加え、このような不眠の症状が以前よりも多く出てきている。

 9:00過ぎ、デイサービスの送迎車が家に来て、俺が居間の椅子に座っていた父親を立たせようとしたら、父親は急に怒った(険しい顔で大きくうなった)。
 なぜ怒ったのか、全くわからない…

 夕方、父親がデイサービスから帰宅した。

 父親の夕食後のトイレで、いつものように便座から何度も立ち上がろうとする父親を正面から介助していた俺は、父親の肩の辺りを上から下に向かってさすった。
 こういう時に肩まわりを「さする」のは最近始めたことだが、父親を座らせ続けたりおちつかせたりするのに、少しは効果があるようだ。

 この時のトイレで、俺が最後に「終わりにするね」と言ったら、失語でほとんど言葉を発しない父親が、「終わり」とつぶやいた。


 デイサービスがあった翌日の父親は、デイサービスもショートステイもなく、一日中家にいて、午後には往診があった。

 往診の際の父親は、聴診器が肌に触れた時は、その冷たさのせいか顔をしかめてうなったが、それ以外はおちついて受診してくれた。
 先生と看護師さんが前々回までと同じ車で来宅し、この地域のガソリン不足がだいぶ解消されたことを示していた(平成23年-春-(15) 参照)。

 この日の父親の夕食時、苦い薬を服用してもらう際、これまでのプリンではなく、先日買ったヨーグルトにした(平成23年-春-(21) 参照)。
 やっとヨーグルトに戻った、とも言える。


 いつのまにか、母親の67歳の誕生日が過ぎていた。


 父親の介護をめぐる状況は、やっと、大地震前とほぼ同じに戻ったが…

 大地震とその後の長時間続いた停電、その後の物資不足などで、父親は急に、それ以前と同じ生活ができなくなった、同じ介護を受けられなくなった。
 それが続いた期間が、環境の変化に弱い父親には、長すぎた…

 父親の精神症状・状態は大地震前と比べて、(直前の不穏がひどかった時期は除いて全体的に)はっきりと悪くなった。

 おちつきなさ、うなり、抵抗、不安定な歩き回り、手の震えなどがひどくなり、表情も険しい時が多くなった。

 大地震前は、トイレで座って排泄してくれることが増えていたが、その後は、ほぼ常時失禁状態に戻ってしまった。

 冬の初め頃に俺が持っていた期待は(平成22~23年-冬-(3) 参照)、もう叶わぬものになってしまったようだ。

平成23年-春
2011/11/23.Wed

平成23年-春-(21)

 父親のショートステイ中の別の日、俺は母親と、特養(特別養護老人ホーム)に入所している祖母(俺の母親の実母)に会いに行った。

 祖母は、自分の部屋のベッドに横になっていて、なんとか目を少し開けているが、とても眠そうだったので、俺と母親は少し声をかけるだけにした。

 スタッフさんに祖母のことを聞くと、俺と母親が前回面会した(平成23年-春-(8) 参照)後から今日まで、特に大きな変化や問題はなかったそうだ。

 前回から今日まで、この施設全体はどうだったかも聞いてみたら、やはり、燃料や食料の供給が安定したのはつい最近のことで、やっと、暖房・入浴・食事などが大地震前とほぼ同じになったとのこと。


 祖母に面会した帰りに、スーパーに立ち寄って買い物した。
 久しぶりにBGMがかかっていたが、音量は控え目だった。
 ヨーグルトがほんの数種類だが、ようやく商品棚に並ぶようになっていて、もちろん買った(平成23年-春-(17) 参照)。


 俺は、自分の皮膚の病気で皮膚科医院を受診した。
 大震災の影響で出せる薬の数量に制限があったものの、俺の薬は薬局に在庫が充分にあるということで、いつものように(時間的・経済的な理由で通院回数を減らすため多めに)出してくれた。


 4泊5日ショートステイ5日目の夕方、父親は予定通り帰宅した。

 ショートステイ中、スタッフさんの目が離れたほんのわずかな間に、父親は転倒したそうだ。
 ケガはなかったようだが、ずっとなかった転倒が起きてしまったことで、俺も母親も気が重くなった。


 今回のショートステイ期間中にも、強い余震があった。

平成23年-春
2011/11/22.Tue

平成23年-春-(20)

 父親のショートステイ中の別の日、俺は市役所に行き、福祉ガソリン券というものを申請した。

 やむをえず福祉車両の自家用車を購入して使うようになってから、支給タクシー券を申請することもなくなり(平成21年-夏-(64)-(65) 参照)、俺は、そういう関係の手続のチェックを怠っていて(父親の介護でそこまで気が回らず)、そういう制度ができていたことに最近になって気づいた。

 身体障害者、精神障害者が自ら乗る、あるいはそういう人を乗せる自家用車に対して支給されるもので、ガソリンスタンドでガソリンを給油する際に一種の金券として使えるが、大きな額ではなく、使える回数(枚数)も限定されるらしい。

 それでも申請して受け取れれば、我が家は経済的に助かるし、精神障害者本人とその家族の大変さについて市が(以前よりもしっかりと)理解してくれるようになったと思えるから、精神的にも救われるものがある。

 俺は、制度の概要と申請に必要なものについてだけ調べ、それらを持って窓口に行って申請しようとしたら、担当者は、「お車は、精神障害者1級であるお父様が所有者ですか?」と俺に尋ねてきた。
 俺は、俺自身が所有者であると答えた。

 すると担当者は、「福祉ガソリン券は、障害者自身が所有する車でしか使えません」と言って、俺の申請を拒否した。

 俺は半ば怒って、立て続けに聞いた。
 精神障害者1級の人が自分の車を運転したり、所有するための手続をしたりできると思うか?
 重度の精神障害者の人の家族の多くが、経済的にも精神的にもつらい思いをしながら自分の車で精神障害者本人を病院や施設に連れて行くなどしている現実を知らないのか?
 自動車税の減免制度は、精神障害者を一定以上乗せる同居家族(所有・名義)の自家用車も対象になるのに、どうして福祉ガソリン券の制度が同じようにならないんだ?

 担当者は、少し困った表情を見せながらも、「所有の名義のことだけですので…」と答えた。

 俺は、それならば“福祉ガソリン券の申請に必要だから”という理由で、自家用車の所有の名義を俺から父親に替える手続をすればいいのか? と尋ねた。
 担当者はそれには答えず、「障害者自身が所有する車でしか使えない、と決まっています」と繰り返した。

 本当に制度が現実に合わない非常識なものなのか、制度はちゃんとしていて、この担当者がそれを理解していないのか、この時の俺にはよくわからなかったが、もう俺はバカバカしくなって、その場を立ち去った。

平成23年-春
2011/11/21.Mon

平成23年-春-(19)

 ショートステイから帰宅した翌日の父親は、デイサービスがあった。

 前回(先週)のデイサービスではなかった入浴が今回はあり、昼食も大地震前とほぼ同じ品目・量に戻ったようだ。

 それらが良かったのだろう、夕方に帰宅した後の父親は、前回と比べておちついていた。


 デイサービスの翌日の父親は、デイサービスもショートステイもなく、一日中家にいた。

 朝、介護ベッドで寝ていた父親は急におちつきがなくなり、全身を震わせ、自分で上半身を起こそうとした。
 関節に拘縮があるなど身体にいろいろ問題があり、身体の動かし方もわからなくなっている父親の動きは無理と危険だらけで、俺はあわてて父親を介助して、ベッド端に座る姿勢までもっていった。

 うなり、いつ転倒・激突してもおかしくない不安定な歩き回り、介護抵抗、手の震え… 俺も母親も、父親の介護は本当につらい。


 一日中家にいた翌日の父親から、父親は4泊5日のショートステイだった。
 父親を送り出した直後の俺は、フラフラだった。


 父親のショートステイ中、俺は…

 母親と自家用車で出かけ、ガソリンスタンドで給油、家電量販店とスーパーで買い物をしてきた。

 大地震後初めて、ガソリンスタンドで給油した。
 出かける前にガソリンスタンドに電話して、すぐ行けば並ぶこともなく満タン給油してくれることを確認しておいた。
 逆に言えば、あらかじめ電話して確認して行くと並ばずに満タン給油できるくらい、ガソリンの供給状況がよくなったことになる。

 大地震が起きてから昨日までは、自家用車のガソリン(残量メーター)が減っていくことに、ある種の恐怖をずっと感じていた。
 そして今日、やっと給油できたわけだが、ガソリンが満タンになることがこんなにうれしいと思ったのは、初めてだ。

 ガソリンスタンドで給油した後、家電量販店に行って少し買い物をした。
 あいかわらず薄暗く、BGMもない。
 品物はそれなりに並ぶようになったが、単一乾電池など、全く無いものもある。
 店員さんが他のお客さんに、「数日前に(電気を使わない)石油ストーブが数台入荷しましたが、すぐに売り切れてしまいました」という話をしていた。

 最後にスーパーに回って買い物した。
 こちらもそれなりに商品が並んでいて、カップめんも数種類は、ある程度の個数が置かれるようになっていたが、缶詰などはまだ少なくて購入制限があり、ヨーグルトは全く無かった。

平成23年-春
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