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2012/07/31.Tue

平成23~24年-冬-(17)

 …前(下)の記事~ 平成23~24年-冬-(16) ~の続きです。

 俺の父親の、この特養(特別養護老人ホーム)への入所が決まった、と言うのだ!

 俺は、「よろしくお願いします」と答えた。


 父親の入所が決まった経緯については、退所する人がいるから入所できるわけで、その人への配慮なのだろう、入所担当者さんは断片的な情報しか話してくれず、俺の推測がだいぶ混じるのだが…

 父親の入所待ち順位が「男性の2番」になっていたところに、この特養の男性入居者のうち2人がほぼ同時に退所することになったらしい。

 そのうちの一人は、病院に長期入院せざるを得なくなってしまったか、あるいは亡くなられたらしい。

 もう一人は、東日本大震災で甚大な被害が出た被災地の特養から、そこで暮らせなくなって、こちらの特養に避難入居していたのだが(平成23年-秋-(14) 参照)、ようやく復興が進んできて、元いた特養に戻れることになったようだ。


 すぐに入所担当者さんが、約2週間後には入所してほしいと言い、入所の手続や準備の話を始めたので、俺は喜んだりほっとしたりしていられなかった。

 特養に入所したら、ショートステイや(認知症対応型)デイサービスはもちろん、訪問診療、訪問リハビリ、福祉用具のレンタルといった在宅介護のサービスは全て受け(られ)なくなるなど変化が大きいので、家族がしなければならない準備はたくさんある。


 福祉・介護制度がどんどん悪く(現場・現状に合わないものに)なってきて、この介護施設としてどれだけがんばっても、充実した介護をするために本当に必要な人数のスタッフを特養に配置できないので、俺の父親が入所したら、現在のショートステイとデイサービスで受けているほどの(行き届いた・細やかな)対応は難しいらしい。

 俺の父親が特養に入所したら、具体的な例として一週あたりの入浴回数、リハビリの回数・量がこれまでより減ってしまうだろうと、入所担当者さんは申し訳なさそうに俺に話した。


 俺は、調剤薬局に立ち寄って、今日の往診の薬を受け取ってから帰宅した。

 次の記事に続きます…

平成23~24年-冬
2012/07/30.Mon

平成23~24年-冬-(16)

 精神病院への通院と訪問リハビリがあった翌日から、父親は4泊5日のショートステイだった。

 父親本人が精神病院を受診した翌日の俺はいつもそうだが、父親をショートステイに送り出した後、介護疲れがひどく、腰痛、股関節痛、ヒザ痛もある身体に鞭打って、前日に処方された父親の薬を受け取るために精神病院へ行ってきた。


 父親のショートステイ中、母親の心療内科の定期受診と歯の定期検診があり、俺が自家用車を運転し、その後のスーパーへの買い物なども含めて送迎・同行した。

 このようなことがあって俺は、父親がショートステイに行ってもなかなか休めず、疲れがとれない。
 頭痛やノド痛、吐き気までしてきた。

 父親のショートステイ先での(主に)内科の往診に付き添う時までには、なんとか俺の頭痛とノド痛と吐き気はおさまってくれた。


 父親は、ショートステイの共同スペースのソファに眠そうに座っていて、そこで診察を受けた。
 先生は「特に変わりないね」と言い、看護師さんが俺に処方箋を渡し、往診は終わった。

 俺が、眠そうな父親に声をかけてからショートステイのスペースを離れ、帰ろうとした時、この介護施設の特養(特別養護老人ホーム)の入所担当者さんから声をかけられた。

 俺に話したいことがあるそうで、応接室のようなところに案内された。

 俺は、父親のここでの入所待ち順位を教えてもらえるのではないか、ひょっとしたら1番になったと言ってくれるのではないか(平成23年-秋-(39) 参照)、といったことを期待しながら入所担当者さんの言葉を待っていた。

 次の記事に続きます…

平成23~24年-冬
2012/07/29.Sun

平成23~24年-冬-(15)

 …前(下)の記事~ 平成23~24年-冬-(14) ~の続きです。

 午後、予定通りOT(作業療法士)さんが我が家に来て、1時間の訪問リハビリがあった。

 開始から40分くらい経った頃に父親がおちつかなくなり、やむをえず早めにリハビリを終えて、おちつかせるために俺が父親におやつを食べさせ、その様子をOTさんに見てもらった。

 おやつは、誤嚥の危険性のある父親に比較的安心して食べてもらうことができて、家計も助かる3個で100円くらいのプリン1個だった。

 俺が食べさせる様子を見ていたOTさんは、交代してほしいと俺に言った。

 お願いするとOTさんは、ムセの原因となる強い吸い込みを抑えられる、食べ物を上唇(裏)に軽くあてる方法を、実際に父親にプリンを食べさせながら俺と母親に教えてくれた。

 俺も母親もOTさんに感謝するとともに、この方法をもっと早く知りたかった、と心の底から思った。
 どうして今まで、この方法を知る機会、教えてもらう機会がなかったのだろう?


 父親の夕食時、訪問リハビリ中に教えてもらった方法で食べさせたら、ほとんどムセなかった。


 一昨日から3夜続けて、父親は夜の寝つきが悪く、足のむくみもやや強かった。

平成23~24年-冬
2012/07/28.Sat

平成23~24年-冬-(14)

 デイサービスの翌日の父親は、精神病院への通院と訪問リハビリがあった。

 朝、俺と母親が介護ベッドから起こそうとした時の父親は、数日前と同様、苦しそうな表情で口の中にツバをためており、その一部が泡になってあふれ出ていた。

 俺と母親は、急いで、されど慎重に、声がけも忘れず父親を起こして、ツバの対応をして父親がおちついたことを確認してから、着替えやオムツ交換の介助を始めた。

 この介助のせいだろうか、直後に俺の腰に強い痛みが走ったが、今回は運よく一時的なものだったようだ。


 午前中、いつものように家族3人で、福祉車両の自家用車で精神病院に行ってきた。

 診察中の父親は、時々うなったり車椅子から立ち上がろうとしたりした。

 父親を一通り診察した、父親の認知症(若年性アルツハイマー)の主治医に、俺と母親は改めて頼んだ。

 父親の寝つきの悪さや、口ゆすぎ水などを口に入れ続けるといった、自分で自分を苦しくしているような問題が少しでも改善される可能性があるなら、メマリー(メマンチン)を出してほしい。

 主治医は、「一番少ない5mgから試してみようか。錠剤しかないから(砕いて)パウダーにして出すよ」とあっさり言った。

 この病院で処方される、父親に定期的に食べさせる、飲ませる、食べ物に混ぜる薬は、メマリーが加わったので次のようになる。

○アリセプトのゼリー(平成22年-春-(36) 参照)を毎日朝食時に1個
○メマリー(錠剤1個を砕いて粉にしたもの)を毎日朝食時に1包
○おちつきなさや興奮を抑えるシロップ薬を毎日朝昼夕食時に数cc(再入院前から同じ量)ずつ(平成21年-春-(14) 参照)
○興奮や不安を抑える液体の薬を毎日夕食時に1包(平成21年-夏-(67) 参照)
○鎮静剤の粉薬を毎日朝昼夕食時に1包(平成23年-春-(1) 参照)

 これに加えて、毎回ではなく少なくなった時だけ出してもらう頓服薬として、精神的に不穏になった、なりそうな時の、夕食時のものと同じ「興奮や不安を抑える液体の薬」がある。

 新しい薬は2週間分しか出せないということで、次回の診察は、いつもの約1か月後ではなく2週間後になり、本来なら父親本人が来なければならないのだが…

 主治医は、本人を通院させる大変さをわかってくれているから、問題や大きな変化がなければ次回は家族だけで良いことにしてくれた。


 診察前後の父親は、待合スペースに多くの人がいようと関係なく、大きなうなり声をあげた。

 仕方なく俺と母親は、父親の座っている車椅子を押して、人の少ない一角へ移動したり、病院の障害者用トイレに連れて行ったりした。

 会計まで済ませると、薬の受け取りは明日にして早々に帰宅した。

 次の記事に続きます…

平成23~24年-冬
2012/07/27.Fri

平成23~24年-冬-(13)

 ショートステイから帰宅した翌日、父親は(認知症対応型)デイサービスがあった。


 父親のデイサービス中、俺は、母親に頼まれてスーパーへ自家用車で買い物に行ったり、明日の精神病院へ行く準備をしたり、明後日からのショートステイの準備の内できることをやったりした。


 夕方、デイサービスから帰宅した父親は、悲鳴のようなうなり声をあげ続けた。

 俺は、他の状況なども含めて父親は排泄したいのではないかと思い、まず、父親をトイレに誘導した。

 転びそうになりながら、うなり、抵抗する父親を、なんとか下を脱がせて便座の正しい位置に座らせたら、勢いよく排泄した。

 その後しばらくの間は、トイレ前の状況がウソのようにおちついていた。
 悲鳴のようなうなり声は、やはり、排泄をがまんしていたということか?


 父親は、家での朝食後と夕食後の歯磨きの際、口ゆすぎ水をずっと出しも飲み込みもしてくれず、父親の転びそうになる身体を支えながら歯磨き介助していた俺は、仕方なくストローで出させた。

平成23~24年-冬
2012/07/25.Wed

平成23~24年-冬-(12)

 二日続けてデイサービスがあった翌日から、父親は4泊5日のショートステイだった。

 俺は、早朝に自分の部屋まで聞こえてきた父親のうなり声と母親の驚き声で目覚め、身体の疲れと痛みをこらえてなんとか起きると、急いで居間に行った。

 父親は、口から泡を吹きながらうなっていた。
 口に中にツバをいっぱいためており、その一部が口からあふれ出て、首や枕カバーを汚していた。

 俺は急いで父親の身体を介護ベッドから起こし、母親と協力して、父親の身体を支えながら口ゆすぎでツバを出させようとしたり(結局飲み込んだが)、口周りや首を拭いたりした。


 父親のショートステイ中、俺は自家用車を運転して母親と、特養(特別養護老人ホーム)に入居している祖母に会いに行った。

 祖母は特養の中央スペースで、前々回までのリクライニング車椅子ではなく、部屋からベッドごと運ばれてきて、横になっていた。

 俺がスタッフさんに、祖母が病院に行った時のことを聞くと、検査したら肺炎ではなく、風邪と診断されて風邪薬を出されたそうだ(平成23~24年-冬-(9) 参照)。

 その風邪は数日で治り、最近は入浴もしているし、食事も(胃ろうで)充分とれているそうだが…

 祖母は口が半開きのままで、顔色が悪く、俺と母親の声がけに対する反応も、以前より鈍い。
 こういう病気を経るごとに、元気がなくなっていく、ということなのか…

 祖母の部屋に行って棚を見たら、俺が年末に出したものと、去年と同じ介護職関係の人からの年賀状が飾られていた(平成23~24年-冬-(9) 参照)。
 スタッフさんによると、今年、祖母に届いた年賀状はこの2枚だけらしい。


 俺は整形外科医院に行ったが、診察は受けず、坐骨神経痛の薬を多めに処方してもらうだけにした。
 前回ここに来て診察を受けた際に、そうして良いと先生に言われていたし、医療費を少しでも節約したいからだ。

 そこから足を延ばして、皮膚科医院にも行った。


 4泊5日ショートステイ5日目の夕方、父親は予定通り帰宅した。

 父親は夕食時、食事中に時々あることだが、少しムセて、咳をした。

 ムセた直後に咳をするので誤嚥にはなりにくいが(平成23年-秋-(19) 参照)、その後で涙が流れたり鼻がつまってきたりするので、俺と母親には、父親をおちつかせながら、それらを拭いたり吸い取ったりという介護が加わってしまう。

平成23~24年-冬
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