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2012/10/30.Tue

平成24年-夏-(3)

 …前(下)の記事~ 平成24年-夏-(2) ~の続きです。

 俺はもちろん、稼げる仕事に早く就きたいが、就いたとしても、この家族会の役員にはならないことにした。

 その理由としては、仕事を紹介してもらえなかったことなどへの不信や不満もあるが、これが一番というわけではない。


 俺は、この地域の介護家族会のボランティアを通して、何人かの若年性認知症の本人やその介護家族に直接会って話したり、そういった人たちの話を間接的に聞いたりした。

 軽度・初期の人のものだけでも、次のような状況だ。

 認知症の進行がとても速い…
 職場を早々に解雇された…

 若年性認知症の人向けのケアやリハビリを受け(させ)たいと主治医に頼んだが、この地域には無いと言われた…
 若年性認知症専門のものがこの地域に無いため、やむを得ず利用した・利用しようとした高齢者(老年性認知症)向けのデイサービスやデイケアは、合わない…

 すること、行くところが無くて・少なくて、気が萎えてくる、ひきこもりのようになっている…
 家族は本人とほとんど家で一緒にいるしかなくなり、(経済的なことを含めて)将来への不安も大きく、ひどいうつ病になってしまった…

 若年性認知症の本人(親)が急に変化(症状悪化)して、子供が大きな衝撃を受けている…


 この地域には今でも、若年性認知症の本人や家族が本当に求めている支援は無いということが、はっきりわかった。

 この家族会は、若年性認知症の本人や家族に対して、電話相談を受けたり、会報を送ったり、集会に来てくれるよう呼びかけているが、それらの若年性認知症の本人や家族が第一に求めているのはそんなものではなく、若年性認知症専門の(日常的に行ける)居場所やデイサービスだ。

 この家族会が若年性認知症専門の居場所やデイサービスをつくれないことは、もうわかっている(平成24年-春-(10) 参照)。

 次の記事に続きます…

平成24年-夏
2012/10/28.Sun

平成24年-夏-(2)

 俺は結局3か月くらい、この地域の介護にかかわる家族会の無償ボランティアを続けた(平成24年-春-(9)平成24年-春-(10) 参照)。

 その働きぶりと成果、この間に開催されたほとんどの集会に参加したことが評価され、家族会の責任者から俺は、役員への就任を頼まれた。

 集会に参加していたのは、若年性認知症の人やその家族に会いたかっただけで、家族会全体のことは考えておらず、この点は誤解されているような気もするが…

 最初の話通りに、今の俺でもできる、ちゃんと給料がもらえる仕事をこの家族会で早めに紹介してくれていたら(平成24年-春-(10) 参照)、その仕事をしながら可能な範囲で、この家族会において主に若年性認知症について担当する役員として活動することを、前向きに考えたかもしれない。

 しかし、結局、仕事を紹介してもらえなかった。

 その一方、俺の知らないところで、いつのまにか新しい会計担当者と会報作成スタッフが決まっていた。

 俺は家族会の責任者の指示で、引継ぎをした。

 責任者は俺に、「事務ボランティアはもう続けなくて良いし、ここでは仕事も紹介できないから、自分で仕事を見つけて、その後、この家族会の役員になってほしい」と言いたいらしい。

 とにかく、俺にはボランティアを続ける理由がなくなり、辞めた。

 次の記事に続きます…

平成24年-夏
2012/10/26.Fri

平成24年-夏-(1)

 6月になり、夏らしい気候になってきたが、俺(42歳)と母親(68歳)の生活は、基本的には変わっていない。

 週に2回は俺が自家用車を運転して母親と一緒に、特養(特別養護老人ホーム)に入居している父親(70歳)に会いに行く。

 父親が好きな(かつて好きだった)音楽を3人で聞きながら、俺と母親は協力・分担して、父親の顔拭き、目ヤニ拭き取りなど、できる介助をしている。

 父親は、若年性アルツハイマーと診断されてから11年、発症からは13年以上経って、最重度まで進行してしまったが、まだ寝たきりや完全な車椅子生活にはなっていない。

 だから介護は大変なのだが…


 週に1回、俺と母親は別の公民館に行き、母親は趣味教室、俺は健康体操教室に参加している。
 この効果もあるのか、俺と母親の心身の状態は、少し良くなっている気もする。


 半月に1回は、(父親とは別の)特養に入居している祖母(俺の母親の実母、90代後半、脳梗塞による麻痺と脳血管性認知症、寝たきり)に会いに行く。


 家の中の片付けは、まだ終わっていない。
 いつまで続くかもわからない。


 俺が、父親と祖母との面会だけでなく、母親の日常の通院や買い物などほとんどの外出において、俺が自家用車を運転して送迎や同行をしなければならない状況も、変わらない。


 ただ、俺のボランティアについては、状況が変わってきた。

平成24年-夏
2012/10/24.Wed

とある認知症シンポジウムに参加して

 私(作者oretomo)は、自分の住む地域で開催された、認知症にかかわるシンポジウムに行ってみました。

 壇上には司会者と、認知症に詳しい医師、介護・福祉の専門家、そして、若年性認知症の本人とその奥さん、という5人がいました。

 若年性認知症の本人とその奥さんは、若年性認知症特有の実情を話し、最後に、「若年性認知症専門のデイサービス」の必要性を強く訴えました。

 そのお気持ちはわかるのですが、会場の反応は鈍くて、私だけでなく少なくない人が違和感を覚えたようです。

 その違和感の原因は、おそらく次の二つだったと思います。

 一つ目は、若年性認知症の本人とその奥さんは、「認知症の人と家族の会」の会員として壇上にいたのです。

 そのご本人夫婦の近くに若年性認知症にかかわる団体が「認知症の人と家族の会」しかなかった可能性もありますし、そこに参加することによって良いことや救われたこともあるのでしょうが…

 「認知症の人と家族の会」は、認知症の人全体を考えている団体のはずで、若年性認知症より老年性認知症にかかわる人のほうがずっと多いでしょう。

 こういう場で、その団体を代表している(ように見えてしまう)方が若年性認知症だけについて話すのは、少し変な感じがしました。


 二つ目は、司会者とパネラーの認知症に詳しい医師、そして介護・福祉の専門家は、今回のシンポジウムのテーマが若年性認知症に限定されていなかったからでしょう、認知症全体のこと、老年性認知症について主に発言していました。

 若年性認知症の本人およびその奥さんの発言と、かみ合っていない、全体としてまとまりのない印象を与えていました。


 シンポジウムの規模が小さくなってしまったとしても、テーマを若年性認知症に限定し、そのご夫婦が「認知症の人と家族の会」の名称を出さずに話してくれた方が、そのご夫婦の話、意見を(違和感なく)強く訴えられた、会場の人々の心に強く響かせられたような気がします。

補足と意見
2012/10/23.Tue

平成24年-春-(24)

 …前(下)の記事~ 平成24年-春-(23) ~の続きです。

 父親のワープロ文書データFD数枚をデータ復旧・変換会社に送ってから数日後、そのFD数枚とその中身がテキストデータに変換された1枚のCD-Rが家に届いた。

 俺は早速、自分のパソコンでCD-Rからテキストデータを取り込み、父親が作った文書データを整理しながら、そのうちのいくつかを読んでみた。

 父親が若年性アルツハイマーと診断される少し前、すでに発症・進行していたと思われる時期には総合病院で事務系の幹部職員として働いていたのだが、仕事でクレームが来て、うまく対応できなくてひどく悩んでいたことをうかがわせる文書があった。

 この時期、俺はまだ東京にいた。

 この時期の父親について母親に聞いたら、家で仕事のことはほとんど話さなかったし、悩んでいるようにも見えなかったらしい。

 もっと早くこの文書のことを知っていたら、父親に対して早くから適切な対応や手助けができていたかもしれない…

 しかし、今さらでも、データ変換によってこの内容がわかって良かったと俺は思いたい。

 わからないままワープロ本体だけでなくデータFDまで壊れてしまっ(てい)たら、当時の父親の仕事や思いについて知ることが、永遠に叶わなくなっていただろうから。

平成24年-春
2012/10/21.Sun

平成24年-春-(23)

 家の中の片付けを進めていく中で(これまで、これから7-(3) 参照)、父親が使っていたワープロが出てきた。

 ワープロ本体と一緒にマニュアルや付属のFD(この機種のワープロ専用フロッピーディスク)、インクリボンなど全部残っているのが、かつての父親らしいと俺は思った。

 父親はこのワープロでいろいろな文書を作成していて、そのデータFD数枚も一緒に見つかったのだが、家には、それらが印刷されたもの(書類として)は残っていない。

 ワープロにはハードディスクドライブなど無いから、父親の作った文書は、このFDの中のデータとしてしか残っていない。

 このワープロは、父親が若年性アルツハイマーを発症してからもしばらく使っていたはずで、そういったことも含めて、父親自身の記録としてしっかり残しておきたいと俺は考えた。

 この機種のワープロ専用データFDに保存してあるだけでは心もとないと思った俺は、ワープロ(本体)にFDから文書データを読みこんで一つ一つ印刷していこうと思ったのだが…

 FDドライブが故障してしまったようで、文書を呼び出せない。
 当然、印刷することも、内容を見ることすらできない。


 俺は最初に、ワープロの修理を考えた。

 家から1番目と2番目に近い家電量販店に行って修理を頼んでみたが、どちらでも、「メーカー修理になるが、古い物なので部品が無くなっていて無理だろう」と言われた。

 仕方なく俺はインターネットでワープロ修理について調べたら、東京などで修理をしている会社はあるが…

 よく考えたら、修理してもらっても、父親の文書データを印刷したら、その後に俺や俺の周りの誰かがこのワープロを使うことは考えられず、それを考えたら、修理は送料も含めて料金が高すぎる。


 外付けフロッピーディスクドライブと文書データ変換ソフトを購入して、ワープロ専用のデータFDを今俺が使っているパソコンのワープロソフトで読み込む方法もあるようだが、この方法もけっこう費用がかかり、父親のデータFDの枚数からすると割に合わない気がする。


 俺は、テレビの報道番組で紹介されていた、東日本大震災で被災して(古い)パソコンやワープロの本体を失い、専用FDなどの今のパソコンなどでは開けない、読み取れない記憶媒体だけがなんとか残った人のために、データ復旧・変換をしている会社のことを思い出した。

 インターネットでその会社を探し出し、調べてみたら、父親がワープロで作った文書のデータFDを、俺が今使っているパソコンで開ける、読み取れるテキストデータ、CD-R保存にしてもらえそうで、その料金もワープロ本体を修理したり変換ソフトを使ったりするよりずっと安い。

 テキストデータ変換なら、俺のパソコン本体(のハードディスク)を含めていろいろな記憶媒体に保存しておけるから安心だし、急いで印刷する必要もない。

 俺は母親と相談して、このデータ変換を頼むことにして、この会社の担当者とのメールのやりとりを経て、父親のワープロデータFD数枚(全部)を宅配便で送った。

 次の記事に続きます…

平成24年-春
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