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2012/12/30.Sun

平成24年-秋-(12)

 9月下旬になり、ようやく本格的に涼しくなった。

 あいかわらず週2回くらい、俺が自家用車を運転して母親と一緒に、父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)へ行っている。

 この時期は、その面会の度に、少しずつ家から父親の秋物衣類を持って行き、父親の部屋の衣装箱にしまい、同時にその衣装箱から、父親の真夏物衣類を少しずつ家に持ち帰った。

 父親は、手の震えが目立った。

 目ヤニはそんなに多くつくわけではないのだが、涙の出る量やまばたきが少ないのか、すぐに固まってしまうようで、それをやさしく拭き取るのは、本当に大変だ。

 スタッフさんによると、父親の足指に(また)水虫ができてしまったようなので、特養の嘱託医の先生に診てもらった上で、薬を塗り始めたとのこと。

 父親は日中、スタッフさんの見守りのしやすさ、転倒リスクや足をぶつけた場合のケガのリスクを低くする、といったことが主な理由だろう、特養の共同スペースで介護シューズを履いて過ごす時間が長い。

 やむを得ないことだが、その過ごし方も水虫になってしまう原因の一つだと、俺は思う。


 今年の父親は、つい先日までずっと暑い期間が続いたのだが、ほとんど熱中症にはなっていないようで、何度も熱中症になっていた昨年までの夏とは、えらい違いだ。

 やはり、昨年までの家と介護施設を行ったり来たりする生活とは違い、特養入居によって温湿度や体調の管理をしっかりやってくれる介護施設で過ごし続けられるようになったからだろう。

平成24年-秋
2012/12/29.Sat

平成24年-秋-(11)

 父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)で、父親の担当者会議が開かれることになり、俺と母親は、会議が始まる前に父親との面会を済ませてから、参加した。

 約半年前の前回(平成24年-春-(14) 参照)と同じように、この介護施設で一番広い会議室のようなところで、生活相談員さん、看護師さん、介護スタッフさんなど合わせて10人くらいと話し合った。

 新しく始めたマッサージも含めて、現在の介護(と医療・看護)を継続していくことになった。


 この会議の後、俺は特養の相談員さんと、俺の父親にかかわる手続について少し話をした。

 自立支援医療証は俺が更新することになり、高額医療・介護費についての更新は相談員さんのほうでやってくれることになった。

 父親の精神科の受診は、もう特養での嘱託医によるものだけになっているから、自立支援医療証はやめてもよいのだが…

 「すぐに精神科の先生に診てほしいが嘱託医がどうしても特養に来られず、通院するしかない」といった事態が全くありえない訳ではないし、一度やめて最初から申請するのは更新より大変なので、しばらく更新し続けることにした。

平成24年-秋
2012/12/28.Fri

平成24年-秋-(10)

 俺のギックリ腰はおさまったものの、その影響だろうか、片方のお尻と太もも裏が強く痛むようになり、また坐骨神経痛がひどくなってしまったようだ。

 身体はそんな状態だったし、あいかわらず残暑が厳しかったが、この時期に俺は、自分の持っている国家資格の実務講習を受けに行った。

 本当は数年前に受けなければいけなかったが、父親を在宅介護している状態では到底できず、延期してもらっていた。

 俺が始めようとしているNPO活動に直接役立つ資格ではないが、この講習を受けることによって堂々と肩書にできる(名刺に書ける)し、それは、これから初めて俺と会う人に、俺が信頼できる人間だと思ってもらえる一助にはなるだろう。


 父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)から家に、父親の先月分の請求書と生活記録が届いた。

 8月上旬に「興奮や不安を抑える液体の薬」をまた飲ませるようにしてから数日で、うなり声が減ったが(平成24年-夏-(21) 参照)、それだけでなく穏やかになり、笑顔が増えたことも8月の生活記録から読み取れた。


 今も俺は、この地域の介護家族会の会員に一応なっているので、この家族会の責任者と会う機会があった時に、俺は自分が始めようとしているNPOのことを話した。

 この地域の若年性認知症の家族会をつくろうとしている訳ではなく、若年性認知症の本人の居場所づくりを最優先としていることを話したら、理解してくれた。

 俺は、このNPO活動に力を入れなければならないし、父親と母親のこともあって、俺が家族会の役員になることは時間的・物理的に不可能という理由で正式に断り(平成24年-夏-(2)平成24年-夏-(3)平成24年-夏-(4) 参照)、今後は家族会の活動に対しては少し手伝うくらいしかできないことも話すと、この責任者は了解した。

平成24年-秋
2012/12/26.Wed

平成24年-秋-(9)

 …前(下)の記事~ 平成24年-秋-(8) ~の続きです。

 敬老祝賀会が終わって、俺が父親の座るモジュール車椅子を押し、母親は父親の横について話しかけながら、特養(特別養護老人ホーム)の共同スペースに戻った。

 共同スペースのトイレが空いていたので、俺と母親はスタッフさんにことわってから、父親をトイレに誘導し、介助して便座に座らせたが、手が強く震え、身体もどんどん横に傾いていき、排泄はなかった、というか排泄どころではなかった。

 スタッフさんを呼んでトイレへ来てもらって、協力して父親の下を拭いたり穿かせたりした後にトイレを出ると…

 ここのほとんどの入居者さんたちが、ホールから戻ってきていた。
 俺と母親と同じように、祝賀会に一緒に参加した家族も何人かついてきていた。

 入居者さんたちは、男性より女性、俺の父親よりずっと年上のおばあちゃんが多い。
 普通に歩けて、おだやかで明るく話していて、どうして特養にいるのだろうか? と疑問に思ってしまう人もいれば、完全に寝たきりの人もいる。

 でも、介護・身体介助が一番大変なのは、俺の父親なんだろうな。

 父親がお世話になっていてこういうことを言うのは何だが、やはり要介護認定や特養入居の基準には、よくわからない点がある。


 父親がいつも食事をとる席に行くと、父親、母親、俺の3人分の食事スペースが用意されていて、スタッフさんが俺と母親の分のお膳と、父親の昼食一式を運んできてくれた。

 お祝いの気持ちがこもっているメニューだったが、父親のが完全に和の普通食であるのには参った。

 俺と母親は、自分の食事より父親の食事介助を優先せざるを得ない上に、父親が誤嚥の危険なく食べられるように全て一口大に切ったり分けたりしなければならず、服薬介助もあって、本当に大変だった。

 俺と母親は、自分たちのお膳は交替しながらあわてて食べるしかなく、おいしさがわからなかった。
 父親がおいしそうに、ムセなどもほとんどなく食べてくれたことが、救いだった。

 いつものように父親に声をかけて、スタッフさんに挨拶してから、俺と母親は帰った。

平成24年-秋
2012/12/25.Tue

平成24年-秋-(8)

 父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)で、敬老の日近辺の休日に敬老祝賀会というものがあり、俺と母親は、父親との面会がてら参加した。

 この介護施設のホールは、参加できる特養入居者とその家族、施設スタッフ、来賓の人々などで埋まった。

 俺と母親は、父親を特養スペースからモジュール車椅子に乗せてホールへ誘導し、ホールでは父親の横についていた。

 父親は、だいたいおちついて(眠そうにして)いてくれた。

 喜寿や白寿など、めでたい年齢の人たちが壇上に上がり、あるいは介助されて上げられ、それぞれ表彰状や記念品を受け取った。

 100歳以上の人には、市からのお祝いもあった。

 同じ年齢でも、自分一人で壇上に上がれる人もいれば、寝たきりやそれに近くて全介助で壇上に上げられる人もいて、俺は複雑な思いでその様子を見ていた。

 次の記事に続きます…

平成24年-秋
2012/12/24.Mon

平成24年-秋-(7)

 俺は、会報案(平成24年-秋-(5) 参照)に続いて、NPO(非営利活動団体・任意団体)としての形を最低限つくらなければならないが…

 先日の美術リハビリ教室でNPOのことを話した、若年性認知症の本人とその配偶者という二組の夫婦は理解・応援してくれている(平成24年-秋-(6) 参照)ものの…

 本人が配偶者から離れても安心して過ごせるところがほとんど無く、配偶者の方はほぼ一日中一緒にいて配慮や手助けに追われている状態なので、NPOの具体的な活動を手伝ってもらうことは、できない。


 俺は長年の在宅介護で、それ以前までつきあいがあった友人知人とはみんな疎遠になってしまい、彼らには頼れない。

 NPO活動の支援窓口であるNPO支援センターには、俺と同じような活動をする人、若年性認知症への理解と市民活動への関心のありそうな人が現れたら知らせてほしいと頼んでいるが、そのような人は現れていないそうだ(平成24年-夏-(5) 参照)。

 もちろん、活動資金なんてほとんどない。


 自宅の一室をとりあえずの事務局にして、俺一人で始めるしかないが、それにも問題がある。

 俺のNPO活動に納得はしてくれていない母親を巻き込むわけにはいかないから、事務局とする部屋は、母親が普段長くいる居間からなるべく離れたところで、かつ、電話を家のものとは別にしなければならない。

 この地域は保守的な人が多いから、携帯電話やIP電話を代表電話番号にするNPO団体は、信頼性に欠けると思われる可能性が高い。

 俺は、かつて弟がいた部屋に固定電話のジャックがついていることを思い出し、弟に事情を話し、その部屋を事務局にすることを決めた。
 電話工事代を安く上げる(少なくとも配線工事代は0円にする)ことを最優先した。


 パソコンとインターネットは、もともとデータカード通信の一番安いやつだから、事務局の場所にはほとんど制限されない。

 父親の在宅介護が厳しくなった頃から、俺はデータカード通信を使っていた。

 インターネットでの病気や介護にかかわる情報収集はどうしても必要だった一方で、家の中の一つ所におちついて座り続けて、というパソコンとインターネットの使い方は、到底できなかったから…

 今ならスマートフォンという手段もあるのだろうが、今後のNPO活動では、スマートフォンだけでは難しいくらいの積極的な情報収集・発信が必要になるかもしれないから、パソコンとデータカード通信で続けてみようと思う。


 とはいえ、固定電話をつなぐ等以前に、弟と相談しながら、その部屋の片付けから始めなければいけないが…

平成24年-秋
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