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2013/02/28.Thu

平成24~25年-冬-(12)

 12月中旬、俺は、この地域のとある精神科医と、メールでやりとりする機会を持てた。

 俺が、自分の考える若年性認知症支援の形について説明するメールを送ると、その先生からは次のような内容のメールが返ってきた。


 若年性認知症の人とその家族が初めて訪れる場所、相談する先のアイディアについては良いと思う。

 若年性認知症専門のデイサービスは、運営・経営が厳しいのではないか。

 自分がかかわっている(老年性)認知症デイケアは、若年性認知症にも充分に対応している。


 俺は、「それならば、そのデイケアを見学させてほしい、若年性認知症の人の受入れ実績を(そのデイケアで何年くらい、どのように過ごしたかも含めて)教えてほしい」という内容のメールを送ったが…

 その後、数日待ったが、この先生から返事が来ることは無かった。
 俺の頼み方がまずかったのだろうか? 他の理由があるのか…

平成24~25年-冬
2013/02/26.Tue

平成24~25年-冬-(11)

 12月中旬も俺と母親は週に2回くらい、特養(特別養護老人ホーム)に入居している父親に会いに行った。

 スタッフさんから、訪問マッサージ会社の年末年始休みについての書類を渡された。

 父親の部屋で、歌番組のDVDをポータブルDVDプレーヤーで見せたら、父親は、昔好きだった歌に少し反応した。

 特養の共同スペースのいつも食事をとる席で、父親をモジュール車椅子に座らせる際、スタッフさんから新しい指示・依頼があった。

 前回まではテーブルに垂直に座らせ、足をテーブルの下に入れる形だったが…

 父親の身体の横への傾き対応で、父親をテーブルと平行に座らせて、身体が傾いている(下がっている)方がテーブルに接するようにしてから…

 テーブルの上に、大人の上腕の長さくらいの細長いクッションを置いて、車椅子をさらにテーブルに寄せつつ、そのクッション上に、父親の傾いている側のヒジ・上腕をのせた。

 これによって父親の拘縮している側の脇腹が少し伸びて、上半身の横への傾きは(一時的に)ほとんどなくなった。

 この介助は、今後も続けていくことになりそうだ。

平成24~25年-冬
2013/02/25.Mon

平成24~25年-冬-(10)

 俺は、前回の皮膚科医院の受診から一週間経ち、指示通り再受診した。

 診察時、俺は先生に、顔を中心に身体が赤く・熱くなることは、たまにしか起きなくなったと話すと…

 ステロイド剤をやめることになり、アナフィラキシー・ショックを起こすずっと前から長期間飲み続けている(おだやかに蕁麻疹を抑える)飲み薬だけで様子を見ていくことになった。

 皮膚の他の症状・問題については、いつもの塗り薬が出された。


 ある日、母親が急に強い腹痛を訴え、俺が自家用車を運転して家から一番近い胃腸科医院へ送迎した。

 自家用車で行かざるを得ないくらいは遠い場所にある、ということだ。

 ここで出された薬を飲んだら、母親の腹痛は徐々におちついていった。

平成24~25年-冬
2013/02/23.Sat

平成24~25年-冬-(9)

 いつものようの俺が自家用車を運転して母親と一緒に、特養(特別養護老人ホーム、父親のところとは別)に入居している祖母(俺の母親の実母、脳梗塞による麻痺と脳血管性認知症がある)に会いに行ってきた。

 前回の面会から約半月経っていたが、その間に祖母は100歳になっていた。

 祖母はあいかわらずベッドで寝て(寝たきりで)いたが、俺と母親が「100歳の誕生日おめでとう」と声をかけたら、目を開けてくれるなど、わずかだが反応があった。

 スタッフさんによると、祖母の体調に大きな変化はないようだ。


 俺は一人でNPO支援センターに行き、月1回の意見交換会のような小イベントに参加した。

 俺は春から、これになるべく参加するようにしており、イベント中やその後に、自分の活動について相談していた(平成24年-夏-(5)平成24年-秋-(7)平成24年-秋-(22) 参照)。

 このイベントでよく会う人がいて、今回も会った。

 その人が、「近畿地方で若年性認知症専門の支援が行われているところを紹介するテレビ番組を見た」と俺に話した。

 俺から何度か若年性認知症についての話を聞いて、こういう番組や特集に関心を持つようになったとのことで、俺は嬉しかった。

平成24~25年-冬
2013/02/21.Thu

平成24~25年-冬-(8)

 いつものようの俺が自家用車を運転して母親と一緒に眼科医院へ行き、それぞれの目の継続的な問題・病気のことで、それぞれ受診した。

 俺も母親も大きな変化はなく、先生からは、これまでの目薬を継続するように言われた。

 その帰りに郵便局に立ち寄り、俺の若年性認知症NPOの会報をいくつか発送した。
 まだ蕁麻疹は強いし、腰痛も厳しいが、俺はNPOの業務もできる範囲でやっている。


 夕方、強い地震があった。

 しばらくして俺は、父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)に電話した。

 事務局のスタッフさんが電話に出て、ケガをしたり混乱したりした入居者はいなかったとのことなので、俺は、スタッフさんたちは忙しいだろうし、それがわかれば充分と思い、父親について詳しく聞くことはしなかった。

平成24~25年-冬
2013/02/19.Tue

平成24~25年-冬-(7)

 忘年会があってから数日後、普段の面会をしようと、いつものように俺が自家用車を運転して母親と一緒に、父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)へ行ったら…

 介護施設の玄関に、葬儀屋さん2人と、ご遺体を運ぶ車が来ていた。
 入居者さんたちの中のお一人が、亡くなられたらしい。

 他の入居者さんたち、(デイサービスやショートステイの)利用者さんたちが気づかないように、ご遺体は静かに運ばれ、ところどころカーテンで見えないようにする、利用者さんたちに部屋を少し移動してもらうなど様々な配慮がなされていた。

 いつかは俺の父親も… いや、今は考えまい。


 父親は、特養の共同スペース奥のソファで、少しのけぞって座っていた。

 特に眠そうではなく、機嫌も良さそうで、少し笑顔も見られた。
 前回面会した忘年会の時と違い、身体の横への傾きも小さかった。


 あいかわらず非常に不安定な姿勢の父親を、俺が慎重に手引き歩行で誘導しながら、母親も一緒に父親の部屋に行った。

 俺と母親の二人がかりで、父親を椅子に座らせ、歌謡曲や演歌のCDを聞かせたり、歌番組のDVDを見せたりしながら…

 父親の顔拭き、目ヤニ拭き取りなどのできる介護をした。
 ヘッドレストのカバー代わりのバンダナ交換、シェーバーの掃除など、できる範囲で、父親の身の回りのこともした。

 スタッフさんにも協力してもらいながら父親をトイレに誘導し、その後、いつも食事をとる席へ移動させて、車椅子に座らせた。

 俺と母親は、また父親の部屋に行って片付けをして、父親のところに戻って声をかけてから帰った。

平成24~25年-冬
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