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2013/06/28.Fri

平成25年-春-(4)

 前回の面会から3日後、俺と母親は、特養(特別養護老人ホーム)に入居している父親に会いに行った。

 この3日の間に、俺の弟から子供(父親からすると孫)たちの新しい写真を受け取っていて、それを持って行って父親に見せたら、自分から顔を近づけた。

 父親は、前回と違って目ヤニはほとんどついていないしフケも目立たず、前回と同じく身体の横への傾きは小さい。


 その次に面会した時の父親は、とても眠そうだった。

平成25年-春
2013/06/21.Fri

平成25年-春-(3)

 3月後半の俺は、父親と母親のために使う時間以外は主に就職活動をするつもりでいたが、まず身体の問題はできるだけ治したい、はっきりさせたいと思った。

 そこで、予定(薬がなくなる時期、あるいは定期検診予約日)より少し早かったが、皮膚科医院、歯科医院、そして整形外科医院に通院した。


 皮膚科医院では、まだ寒い日もあるので、しもやけを抑える漢方薬を数週間分と、いつもの蕁麻疹の薬をなるべく多く出してもらった。

 アナフィラキシー・ショックの原因について、前回の整形外科医院でのこと(平成24~25年-冬-(26) 参照)を先生に話したら、その時の鎮痛剤と断定してもいいだろうとのことで、その鎮痛剤の名称を記入した「アレルギーカード」というものを渡された。

 他の医療機関にかかる時には、このカードを提示するよう指示された。


 1本だけだが、食べていて力が入るとひびく歯があり、虫歯なら就職前に治しておくほうが良いと思い、歯科医院を受診した。

 レントゲンも撮られたが、虫歯ではなく、歯と歯の間に汚れがたまったことによる炎症とのこと。

 汚れを取り、レーザーを当て、薬を塗るという治療を受けたら、徐々に良くなっていった。


 整形外科医院では、まず坐骨神経痛のことを先生に相談した。

 坐骨神経痛専門の薬を飲み続けていて、ある程度痛みが抑えられているからだろう、おとなしくしていれば片側の太ももの裏が時々痛くなるくらいだが…

 身体を動かすと(動かし方にもよるが)、腰から尻、太もも裏にかけて強い痛みが出やすいと俺が現状を言ったら、先生からは、これまでの薬を続けるようにという指示があった。

 (坐骨神経痛ではない)腰痛についてはシップを基本にして、それだけでは耐えられない時には前回出してもらって残っている鎮痛剤(アナフィラキシー・ショックを起こした原因であろうものとは違うタイプ)を飲むように、とのこと。

 半月くらい前から片方の肩周りが痛くて、シップを貼ってもなかなか良くならないので、そこを診てもらったら、上腕二頭筋炎という診断で、シップを貼って休めれば良くなるが、骨の中の筋肉が痛んでいるので、治るまで時間がかかるそうだ。

 雪かきで力がかかるところで、それが原因らしい。
 先日ようやく痛みがひいた親指付け根の痛み(平成24~25年-冬-(32) 参照)も、やはり原因は雪かきだろうとのこと。


 歯科医院でも整形外科医院でも「アレルギーカード」を提示したら、コピーをとられた。

平成25年-春
2013/06/14.Fri

平成25年-春-(2)

 3月の中頃は、暖かな日もあれば、強い風が吹いたり急に寒くなったりもした。

 俺と母親(68歳)は、特養(特別養護老人ホーム)に入居している父親に、あいかわらず週2回くらい会いに行っているが…

 自家用車を運転できないと非常に不便なこの地域において、母親が運転免許を持っていないから、俺が自家用車を運転して一緒に行くしかない。

 今のところ俺以外に、母親を父親のところに自家用車で連れて行ってくれる人はいないし、母親が一人で父親と面会しても、できる介助・介護はほとんど無い。

 俺としては、自分の腰に大きな負担がかからず、これまで通り父親と面会ができるようなパート、アルバイトに就職したいが、このご時世、そううまくは行かないだろうな…


 ある日の面会での父親は、特養の共同スペースのソファに、ややのけぞって、少しだるそうに座っていた。
 横への傾きは小さいが、目ヤニとフケが多く、鼻も少しグスグスしている。

 股間がふくらんでいるので、失禁しているのかと思ってチェックしてみたら、失禁はしておらず、リハビリパンツの中に一番厚い(吸収量が多い)尿取りパッドを2枚重ねしていたから、ふくらんでいるのだ。

 その理由をスタッフさんに聞いたら、最近の父親は排尿(失禁)回数が少なくなり、その分1回あたりの尿失禁量が多くなった(多すぎる)ことによる、やむを得ない対応らしい。

 もっと暖かい気候になってくれば回数と量のバランスが良くなるかも、とのことだが…

 俺と母親の二人がかりで父親を、慎重に手引き歩行で父親の部屋に誘導して椅子に座らせ、音楽番組DVDを見せながら、顔拭きや目ヤニ拭き取り、頭拭き、鼻水吸い取りなど、できる介護をした。

 その後でトイレに誘導したが、尿取りパッドに失禁しておらず、便座になんとか座らせてしばらく待ったが、排泄はなかった。

 トイレで排泄してくれることは、もう無いのか…

 父親を共同スペースに移動させてモジュール車椅子に座らせ、声をかけてから俺と母親は帰った。

平成25年-春
2013/06/07.Fri

平成25年-春-(1)

 あの大地震からちょうど2年目の日、俺(43歳)は自分の人生について考え直し始めた。

 長期間にわたる父親(71歳)の在宅介護で俺が失ったものは、あまりにも大きい。

 再び働きたいと思っても、ブランクが長すぎて元の職種に戻るのは厳しい。
 いくつか資格を持っているが、今の時代、どんな資格でもキャリアを伴わなければ、あまり評価してもらえない。

 在宅介護を終えた後、その経験を活かして介護(介護士、ヘルパー)の仕事に就いて活躍したという人の話を聞いたことはあるが…

 俺のように、厳しい在宅介護で腰の椎間板ヘルニアなどの大きなケガ持ちになってしまった人間には、介護の現場の仕事は無理だ。

 父親が若年性アルツハイマーと診断された時点で、俺は、その直前に取得した国家資格で働いていくことをあきらめて、介護の(現場の)仕事に就いていれば、父親の症状が進んでも良い対応ができたり、父親の症状がひどくなる前に、ケアマネージャーの受験資格も得ることができたりして、今、就職に迷うことはなかったかもしれない…

 この地域では以前と変わらず、介護家族への就職支援などは無い。
 だからこそ、俺が自分でそういう支援を作ろうとしたのだが、無理だった。

 子育てしている親への就業支援は全国的にもこの地域でもあり、しかも増えてきているようで、子育てをしている人に比べて、介護をしている人には厳しい社会だ。

 それでも、俺は前を向くしかない。

 翌日から俺は、ハローワークに行って求職カードをつくるなど、職探しを始めた。

平成25年-春
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