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2013/08/31.Sat

平成25年-春-(19)

 …前(下)の記事~ 平成25年-春-(18) ~の続きです。

 そういう訳で、この夫婦は家族会の積極的な勧めもあり、認知症と診断される前から、若年性認知症の当事者夫婦として、良い意味で多くの人の参考になるような認知症介護(を長くしてきた、受けてきた)経験者の代表として、集会に参加したり講演したりしてきた。
 過去の会報などを見ても、わかることだ。

 しかし、実際の、本当の若年性認知症当事者夫婦ではないから、この会報にあるご主人が今年春の時点で困っていることについての記述からも推察できるのだが、ご主人が集会や講演で語ってきた不安・困っていること・要望などは、「年相応のもの忘れ~認知症の疑い・軽度認知障害~ごく初期の老年性認知症」の時期におけるものなのだ。

 もちろん、年相応のもの忘れから初期の老年性認知症の間でも大変なこと・場合があるのは俺も知っているが、(若年性)認知症と診断されてから数年経った人とその家族のほうがずっと大変であることは、言うまでもない。

 ご主人が、(若年性)認知症と診断されてから数年経った人の家族の代表という立場で、年相応のもの忘れからごく初期の老年性認知症の間における不安・困っていること・要望を語るという矛盾した行為をしてきたことにより…

 本当に困っている、追い込まれている(若年性)認知症と診断されてから数年経った人とその家族の大変さ・不安・困っていること・要望が、年相応のもの忘れから初期の老年性認知症の場合と同じと捉えられ…

 ひいては、(若年性)認知症と診断されてから数年経った人とその家族への支援も、年相応のもの忘れから初期の老年性認知症の場合と同じでよい、という結論になってしまっているとも(この地域の現状からすると)考えられるのだ。


 昨年(平成24年)の春に、俺は家族会の責任者から、この夫婦を「若年性認知症の当事者夫婦」と紹介された。

 しかし、詳しい経歴は教えてもらえず、俺も遠慮してほとんど聞けず、その時の俺は自分で想像するしかなかったのだが、その夫婦共に60代後半で、奥さんはとても認知症には見えず、発症したばかりなのか、ひょっとしたら発症していないのでは、とも思った。

 その後、俺は家族会の会員として活動にかかわる中で、この夫婦の詳しい経歴は教えてもらえず、俺も遠慮してほとんど聞けないまま、この夫婦を会の当事者代表として前面に押し出すことに結果的に巻き込まれ、協力させられるという状態が続いた。

 一方で、昨年の秋頃から徐々に、俺とこの夫婦は認知症当事者としての話が合わない、若年性認知症当事者ならほぼ必ず出てくるはずの不安や要望がこの夫婦からは出てこない等の違和感が少しずつ大きくなり…

 俺は、今年の2月頃には、この会報に掲載されていた経歴、ご主人のこれまでの立場と発言の矛盾、そして昨年春の俺がこの夫婦の年代は見間違えていて、一方で認知症についての印象は当たっていたことをはっきりと知り…

 明らかにおかしい、(若年性)認知症の本来あるべき介護・予防・支援や助け合いを歪めてしまう、この夫婦と(この夫婦の勘違いや誤った主張を受入れている)家族会とはかかわらないほうが良い、一緒にされては困ると思うようになっていた。

 それが、俺がこの家族会を退会することにした理由の一つだったし、退会届を提出した頃から、この夫婦にも会わず、連絡もしていない。

 この夫婦と連絡も取りあわないようになり、また、主に美術リハビリ教室で一緒だったご夫婦とも疎遠になってきていた(平成25年-春-(5) 参照)ことにより、俺の若年性認知症支援NPOにかかわる若年性認知症の当事者(家族)が俺一人になってしまった。

 これも、俺がNPO活動を縮小することにした理由の一つであった(平成24~25年-冬-(42) 参照)。


 それにしても、どうして家族会は、この夫婦の「本当の」経歴を会報に載せたのだろうか?

 それまでの(若年性認知症当事者と名乗らせていた等の)経緯からすると、自分で自分の首を絞めることになるような気がするのだが…

 もうごまかせない、本当のことを書いても理解してもらえる、と思ったのだろうか?

平成25年-春
2013/08/27.Tue

平成25年-春-(18)

 この地域の介護家族会から、今月の会報が家に届いた。

 先月末での退会届を提出したのに、どうして?

 こちらから家族会の事務局へ、「退会したのに、なぜ会報が届くのか?」という問い合わせの電話をしたら色々言われるだろうし、かといって連絡しなければ、「会員でい続ける意思がある」と都合よく解釈される可能性がある。

 頭が痛いが、手続が遅れているだけ、と考えて放っておくしかない。


 この会報には、もう一つ大きな問題があった。

 昨年(平成24年)の春に、この地域の介護家族会の集会に参加した際、家族会の責任者から俺に、若年性認知症の本人とそのご主人と紹介され、その後も俺が何度か会ったり連絡を取り合ったりしていた夫婦(平成24年-春-(6) など参照)の経歴と、今年の春の時点での本人の状態やご主人の困っていることが、この会報に詳しく掲載されていた。

 掲載された理由は、この記事が作成された時期からすると、俺の新聞記事(平成24~25年-冬-(32) 参照)に対抗して、ということだろうが…

 この本人は65歳少し前から物忘れがやや多くなり、心療内科医院で診てもらったところ、「年相応の物忘れ」と診断され、それから複数の大きな総合病院(当時でも認知症の診断を誤ることはまず考えられないところ)を受診し続けて、「年相応の物忘れ」、その後「認知症の疑い」や「軽度認知障害」といった診断を経て、70代半ばになった昨年の夏に、ようやくアルツハイマー型認知症(を発症した)と診断されたそうだ。

 ということは、この本人は少なくとも「若年性」認知症ではないし、本人の認知症経験や配偶者の認知症介護経験は、現在においても非常に短いものと言わざるを得ない。


 ではなぜ、認知症と診断される前から「若年性認知症の本人とその介護配偶者」と本人たちは名乗り、家族会も名乗らせていたのか?
 そう名乗ったり紹介したりした相手は、俺以外にも多くいた。

 今回の会報に書いてあることや、俺が他に見たり聞いたりしたことをまとめると…

 本人夫婦は、「年相応の物忘れは、認知症の初期症状の一つである」とずっと思って(勘違いして)いるらしく、「初めは年相応の物忘れだった」や「年相応の物忘れから認知症の症状が進行していった」という発言などが(今にして思えばだが)あった。

 そこから、「年相応の物忘れが見られるようになった65歳頃には認知症を発症していた。だから若年性認知症だ」と主張したいらしい。

 もちろん、認知症(の物忘れ)と「年相応の物忘れ」は別の物であるから、この主張の方が間違っていると言わざるを得ない。


 一方で、家族会が若年性認知症当事者と名乗らせていたのは、おそらく、こういう多くの団体の流れとして、家族会の活動に積極的に協力してくれる現在の(若年性)認知症当事者に、それらしい人でもいいから家族会にいてほしい、さらに、前面に押し出して活動したいという理由で…

 家族会の活動に積極的に協力してくれそうで、当人たちは若年性認知症で認知症経験も長いと思っているものの、実際は若年性認知症ではない人とその配偶者を、しかもはっきり認知症と診断される前から、家族会の(若年性)認知症当事者の代表にした(代表にしてしまった)、ということだろう。

 次の記事に続きます…

平成25年-春
2013/08/23.Fri

平成25年-春-(17)

 いつものように俺が自家用車を運転して母親と一緒に、特養(特別養護老人ホーム、父親のところとは別)に入居している祖母に会ってきた。

 あいかわらず祖母は部屋のベッドで横になっていたが、今回も前回のように目を開けていてくれて、反応らしきものがあった。

 スタッフさんに祖母の近況を聞いたら、特に変化はないとのこと。

 ちょうど食事の時間になったようで、看護スタッフさんが祖母のベッドの横に来て、「ごはんですよ」と祖母に声をかけながら胃ろうのチューブをつないだ。

 その言葉に、俺は何か寂しいものを感じた。


 最近の俺の若年性認知症支援NPO活動は、時々インターネット上で情報発信したり、たまに関係先から来る電話やメールに対応したりするだけになっている(平成24~25年-冬-(42) 参照)。


 父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)から、父親の3月分の請求書や生活記録が届いた。

 先月の父親は、全体的には穏やかに過ごしていて、良い意味での反応や発声もあったようだ。

平成25年-春
2013/08/20.Tue

平成25年-春-(16)

 会議があった数日後(次)の面会では、父親が前回と同じ服(上着とスエットパンツ)を着ていて、俺は「あれっ?」と思った。

 父親の入浴は週2回で、少なくともその際には服を替えるはずで、俺と母親はその間に(週2回くらい)面会しているから、父親の服は前回の面会と違っているのが普通だからだ。

 スタッフさんに事情を聞いたら、俺の父親は姿勢や動きが非常に不安定で、肥満ではないがそれなりに体重もあるので、父親の入浴は男性スタッフさんがいる時でないと無理なのだが…

 特養(特別養護老人ホーム)の男性スタッフさんの数が少なく、今週の父親の入浴予定の二日のうち昨日は男性スタッフさんが勤務になるようにシフトが組めなくて、今日(の俺と母親の面会後)にずらしたとのこと。

 先月も同じことがあったらしい。

 父親の入浴間隔や生活リズムを考えると、男性スタッフさんが増えて、こういうことは無くなってほしいのだが… 社会的・制度的な理由で、難しいんだろうな。


 俺は、この特養で現場の介護スタッフとして働かせてもらえるなら、働かせてほしいと思ったこともある。
 父親の近くにいられることが多くなるし、自分の介護経験も少しは生かせるだろうから。

 しかし自分の身体、特に腰の椎間板ヘルニアと、それによる坐骨神経痛を考えると… やはり無理だ。
 介護スタッフとして働いて、それらを今よりも悪化させたら、もう俺は人生をやり直せない。

平成25年-春
2013/08/17.Sat

平成25年-春-(15)

 4月中旬のある日、父親に会いに行った時には、父親の歯ぎしりが少し気になった。

 母親が、自分が先日69歳になったことを父親に話したが、父親の反応は特に無かった。


 この日は父親についての会議があり、俺と母親は父親との面会後に参加した。

 俺の父親を担当してくれている施設の生活相談員さん、看護師さん、特養の介護スタッフさんらから、父親についての話があった。

 父親の状態や介護方法に大きな変化はなく、訪問マッサージも継続して良いようだが…

 父親の立位時間・歩行距離が、波はあるものの全体的には更に短くなり、姿勢の不安定さ・転倒の危険性が増しているそうだ。

平成25年-春
2013/08/13.Tue

平成25年-春-(14)

 父親の介助で腰痛を悪化させた翌日、やはり俺は、腰が痛くてシップだけでは耐えられなくなり、肩もまだ痛いので、恐る恐る新しい鎮痛剤(平成24~25年-冬-(26) 参照)を飲んだ。

 やはり、これならアナフィラキシー・ショックは起きないし、蕁麻疹が強く出ることもなかった。

 腰や肩の痛みも、ある程度はひいた。

 しかし、肩の痛みはこの後もしつこく続く。
 腰の痛みも、時々強くなる。

 太もも裏を中心とした坐骨神経痛も、あいかわらずだ。
 薬を飲み続けているのだが、悪化しないだけまし、と思うしかないのか?

 俺は、この時期は毎年のことだが、鼻水などの花粉症の症状が強くなってきた。
 朝晩はまだ寒いが、天気が悪くなければ日中は暖かくなり、花粉も多く飛ぶ。

 ずっと飲んでいる蕁麻疹の薬は花粉症の症状を抑える効果もあるのだが、完全には抑えられない。
 外出時のマスクなど、できる対策は全部やっていても…


 そんなある日、俺が自家用車で買い物に行った時、入学式帰りの親子を何組も見た。
 父親が一緒の家族も多かった。

 もし俺の父親が若年性アルツハイマーにならなかったら、俺にも自分の子供の入学式に参加するような人生が、あったのかもしれない…

平成25年-春
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