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2013/11/30.Sat

平成25年-夏-(24)

 8月中旬も俺は母親と一緒に週2回くらい、特養(特別養護老人ホーム)に入居している父親に会いに行った。


 施設内ホールでのコンサートと面会が重なった日があり、父親がモジュール車椅子に座り、俺と母親がその両隣で椅子に座って、鑑賞した。

 こういう時の父親は眠そうにしている時間が長いし、それでいて不意に動くことなどがあり、少なくとも俺か母親のどちらかは父親を見守っていなければならないから、「鑑賞」という言葉は適当ではないかもしれないが。


 父親は、手が少しむくむことや、手引き歩行中に足に力が入らなかったり片方だけ強いがに股になったりして転倒しそうになることがあった一方で、笑顔を見せてくれることもあった。


 スタッフさんから、来月に、俺の父親を担当するスタッフさんたちの定例会議(半年に1回)があるので、質問や要望がないかと聞かれ…

 俺と母親の面会は(主に母親の体調や希望で)午前中のことが多く、昼食近くまで面会した時は、在宅介護の頃からの習慣で(昼食前の)父親をトイレ誘導していたのだが、朝食頃に排尿(失禁)があった場合の昼食前の排尿(失禁)は、もうずっと無い。

 それをふまえると、朝食頃に排尿(失禁)がなかった場合や排便がありそうな時は別として、昼食前のトイレ誘導は、父親にとっても負担のようだし、やめてもいいのだろうか?

 このような相談をしたらスタッフさんから、「会議までに検討しますが、それまでの間も、やめて様子を見てもいいのでは」と言われた。

 この時の俺は、父親の隣で、しかも周りに他の入居者さんたちがいる所で相談してしまい、「父親への配慮が足りなかった。父親や他の入居者さんから離れた所で相談するべきだった」と後で深く反省した。

 若年性アルツハイマーが最重度まで進行して久しい父親は、もう話の内容を理解できないと思うが、自分にとって恥ずかしい話をしていることは感じられたかもしれないから。

平成25年-夏
2013/11/28.Thu

平成25年-夏-(23)

 8月中旬になると蒸し暑さが厳しくなり、家では節約で控えていたエアコン(冷房)を、使わざるを得なくなった。


 父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)から、先月分の請求書や生活記録が届いた。

 7月中の父親は、全体的にはおちついて過ごしていて、笑顔も時折見られ、非常に短い言葉だが発声もあったようだ。


 この頃の俺は、母親と一緒に最低限の範囲の親戚にお中元を届けたり、まだ祖母のこと(平成25年-夏-(17) 参照)に追われていたりと忙しい中…

 片方の目に違和感が出てきて、それが強くなってきたので仕方なく眼科医院を受診した。
 目が炎症を起こしているとのことで、普段の目薬に別の目薬が追加されることになった。

 その新しい目薬を辛抱強く続けたら、なんとか8月の終り頃には症状がおさまった。


 とんでもないニュースがあった。

 認知症のお年寄りが徘徊して線路内に立ち入り電車と接触した死亡事故で、家族らの安全対策が不十分だったとして、鉄道会社が遺族らに列車が遅れたことに関する損害賠償を求めた訴訟の判決で、裁判所は、そのお年寄りの家族に(鉄道会社の)請求全額を支払うよう命じた。

 このニュースを最初に知った時の俺は、認知症の在宅介護の現実を知らない、あるいは知っていて無視・軽視した裁判所に対して怒りを覚えたが…

 しばらくすると、別の考えも出てきた。

 認知症の在宅介護、特に(動ける)認知症の人を介護している・見守っている家族の負担について、ちゃんとした公式(国・政府・厚生労働省などによるという意味)の全国的な実態調査が行われていないことも、問題なのではないか?

 そういう調査が既に行われていれば、大家族で、そのみんなで介護・見守りを分担できるなどの特別な場合は別だが、多くの一般家庭では介護保険サービスを利用しても(動ける)認知症の人を家族が介護する・見守るのは非常に困難であることが、公式な資料として明らかになっていたはずで…

 公式な資料であれば裁判所は、それを重視して、あるいは重視せざるを得ず、今回のような判決にはならなかっただろう。

 また、そういう調査やその結果資料があれば、認知症の人の家族支援も既にしっかりしたものができていて、判決以前の死亡事故も防げた可能性があったのではないか…

平成25年-夏
2013/11/26.Tue

平成25年-夏-(22)

 8月上旬も俺は母親と一緒に週2回くらい、特養(特別養護老人ホーム)に入居している父親に会いに行った。

 暑い気候になったのでスタッフさんにことわり、父親の部屋で3人一緒にいる間だけ、部屋の冷房をつけさせてもらった。

 家から父親の真夏向けの薄手、半袖、七分丈の衣類を持って来て、それによって衣装箱に入りきらなくなった春物を家に持ち帰った。


 父親は、約2か月ぶりにヘアカットしてもらった。

 父親はヘアカットしてもらうと、髪だけでなく表情もスッキリするので、それは良いことなのだが…

 へアカット後に俺と母親は、なるべく早く面会して、父親の耳掃除をしなければならない。

 父親の身体が(ヘアカット中に限らずいつものことだが)横に傾くので、傾いて上になる方の耳の穴に、どうしても小さな髪切りくずが結構入ってしまい、そのままにしておけないからだ。


 前かがみや足の踏みしめは、7月下旬よりは弱くなったが、身体介助の際は不安定な姿勢や動きに加えて、これにも注意しなければならない。


 スタッフさんによると、最近の父親の排泄間隔は以前(平成25年-春-(20)平成25年-夏-(14) 参照)と比べて良くなっているそうで、俺と母親は安心した。

平成25年-夏
2013/11/24.Sun

NHKスペシャル“認知症800万人” 時代「母と息子 3000日の介護記録」を観て

 私(作者oretomo)は、昨日(11月23日 21:00~22:15 NHK総合)放送された、NHKスペシャル“認知症800万人” 時代「母と息子 3000日の介護記録」を観ましたが…

 その感想を一言で申し上げますと、「よくわからない」でした。


 映像記録の中に登場する、認知症らしい女性のお年寄りが…

 何年あるいは何歳の時に、どのタイプ(アルツハイマー型、脳血管性、レビー小体型、前頭側頭型など)の認知症を発症したのか、そう診断されたのか?
 周囲が異変に気づいた時期や、脳血管性と思われるような情報は出てきましたが…

 認知症の症状や進行を抑えるために、どんな薬を飲んでいたのか?

 デイサービスやホームヘルプサービスなど、介護保険のサービスを受けていたようですが、それなら要介護認定や要介護度はどうだったのか?
 要介護認定の際に、認知症の症状や認知症の介護の大変さが、どのように評価されたのか?

 これらが観ていても、出てこなかったのです。


 つまり、この人が「認知症」について受けていた医療や介護保険(認定)の基本的かつ重要な情報が、何も出てこないので…

 「90代の介護が大変な人を撮影した記録」としては意味のあるものなのでしょうが、「認知症」という点では、何をどう学べば・参考にすれば・生かせば良いのか「よくわからない」ということになってしまったのです。


 ちなみに、本日(24日)深夜24:10~25:25(=25日0:10~1:25)にNHK総合で再放送があるようです。



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補足と意見
2013/11/22.Fri

平成25年-夏-(21)

 7月も終りに近づくと、山口県の限界集落での連続殺人・放火事件について、容疑者(この記事では「彼」と表記します)の経歴が報道されるようになってきた。

 俺は、殺人や放火は許せないし、そこまで実行した心理はわからないが、それ以前の彼の状況や心境については、一般の人よりは理解できるような気がした。

 彼は、40代の独身でUターンし、親の介護を始めた。
 俺は、30代の独身でUターンし、親の介護を始めることになった。

 彼は、近所づきあいがうまくできず、孤立していた。
 俺は、父親の介護に追われ、友人とのつきあい、近所づきあいをしている時間は全く無くて、ほとんど孤立していた。

 彼は、町興しなどで地域のために努力しようとしたが、うまくいかなかった。
 俺は、この地域の若年性認知症の人とその家族のために努力しようとしたが、これまでの結果としては、うまくいかなかった。


 ひょっとしたら俺は、彼が罪を犯す前に、話し相手になれたかもしれないと思うのは… うぬぼれだろうな。

 もし話し相手になれたとしても、犯罪行為を止められたとは言えないし。

平成25年-夏
2013/11/20.Wed

平成25年-夏-(20)

 7月下旬の俺は、腰痛の悪化と風邪が重なってしまったものの、最も悪い状態は1~2日で終わったので、なんとか母親と一緒に週2回くらい、特養(特別養護老人ホーム)に入居している父親に会いに行くことができた。

 この時期の父親は、なぜか前かがみと足の踏みしめが強く、その分さらに身体介助が厳しくなった。

 父親をモジュール車椅子に座らせ、母親がこれまで(前かがみと足の踏みしめが強くなる前)と同じように車椅子を後ろへ引いたら、前かがみと足の踏みしめが強いので、車椅子だけ後ろに動いて、父親はずり落ち、しりもちをついてしまうということがあった。

 この時の俺は、ほんのわずかな間だったが、父親から目を離してしまっていた。

 徐々にずり落ちたので痛みや衝撃は無かったはずだが、父親は急に不機嫌そうな顔になった。

 父親に謝り、スタッフさんに事情を話したが…

 この日は俺と母親が帰る時まで、ずっと父親の表情は曇っていた。

平成25年-夏
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