2018/06/08.Fri

平成27~28年-冬-(30) しばらく面会できない

 2月下旬も俺と母親が、父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)の部屋に行くと…

 父親はベッドで仰向けになっていて、日中の部屋着を身につけており、その上に布団が掛けられていて、目をつぶっていたが、声をかけたら目を開けた。

 俺の弟が先日、家(弟からすると実家)に来て母親に渡しておいた子供たちの写真を、この日に母親が家から持ってきて、父親に見せてから、棚の上にあるフォトフレームに入れた(入っていたものは家に持ち帰る)。

 介護スタッフさんが俺と母親の分のお茶を持ってきてくれた際、俺は父親の部屋の前の廊下で、そのスタッフさんと父親の食事について聞いた。

 父親の朝昼夕のミキサー食を食べる時のムセは少しあるが、(トロミ付)エンシュアだけの時と大きな違いはなく、心配しなくていいそうだ。

 入院前のソフト食(平成26年-秋-(17) 参照)・なめらか食(平成27年-春-(2) 参照)でなくミキサー食という形状になっているのは、ソフト食・なめらか食は(少しでも、歯ぐきでだけでも)噛む・噛める人向けであり…

 父親は総合病院に入院してから噛むものを食べていなかったせいか、まったく噛まずに吸い込んでしまいがちで、なめらか食でも喉を詰まらせたり誤嚥したりする危険性が高いので、(まったく噛まずに吸い込んでも)より安全なミキサー食にしているとのこと。

 俺は、先日買って持ってきたラジオをスタッフさんに見せて、使う許可をもらい、操作方法を(ほとんど電源スイッチを入れてもらうだけでいいタイプだが)説明してから、日中の、父親が部屋にいて眠ってはいない時につけてほしいと頼んだ。

 俺は、ラジオを父親の部屋の棚に置いて、早速つけてみた。

 音量を、となりの部屋の人に迷惑にならないように、父親が眠くなった時に眠りを妨げないように小さくして、かといって父親が目が覚めている時に聞こえるくらいには大きく、という調整が面倒だった。

 父親に特に反応は見られなかったが、室内の雰囲気が少し明るくなったように、また、部屋に生活感が出てきたように、俺には思えた。

 ラジオを置いた横には痰の吸引器があるが、相変わらず使われた形跡はない。

 その近くの「看取りファイル」を読むと、父親の状態に大きな変化はないが、朝昼夕のミキサー食を全体の何割食べたか、が書かれるようになった。

 10:00頃と15:00頃には、ジュースゼリーを食べているようだ。

 朝昼夕は7割以上を食べられていて、もし、それよりも少ない量しか食べられなかった時は、その後のジュースゼリーをエンシュアに切り替えて、栄養不足にならないようにしてくれているらしい。

 女性スタッフさん二人が来室して、その二人がかりで父親をベッドからリクライニング車椅子に移して、腹から足にかけてをヒザ掛けで覆った。

 腹から足にかけて覆うのは、冬以外はバスタオルだが、冬は寒いので、家族が持ち込んだヒザ掛け(ハーフケット)を使う。

 (特養を含む介護)施設のホールで、地域ボランティアの人たちによるコンサートがあり、父親は聞きに行けるので、家族に連れて行ってほしいとのことだった。

 俺も母親も、父親を連れて行くのは全然かまわないし、こういうことは退院後初めてなので嬉しいくらいだが、このような入院前と同じことができるのに「終末期」と診断されたまま、ということに違和感を覚えた。

 スタッフさんが退室した後、俺が父親の車椅子を押して、母親がその横についてホールまで行き、すでに、特養の入居者さん(のうち参加できる人)たちを中心に、数十人が扇形に椅子や車椅子に座っていて…

 その端に、父親の車椅子を固定して、俺と母親はその両脇に、ホール備品の椅子を持ってきて座った。

 民謡のコンサートだったが、歌っている人の声が大きいだけでなく、三味線や尺八の音も大きすぎたからだろう、父親がびっくりしたような表情や動きを見せたので、早めに特養の共同スペースに戻った。


 その2日後、特養の生活相談員さんから家に電話があり、父親が入居しているブロックではないものの、特養で感染性の病気が発生してしまったので、しばらく面会を控えてほしいとのことだった。

 俺は、父親のことは心配だが、ラジオを持ちこんでいて良かった、と思った。

 また、TOEICの試験日が近づいていたので、結果的に勉強時間を増やせたことも助かった。


 父親に会えないまま、うるう年で29日までの2月が終わった…



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平成27~28年-冬