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2019/01/11.Fri

平成28~29年-冬-(25) 総合病院への再入院

 平成29年(2017年)の1月末が近づいた日、母親は家の近くの公民館で開催された地域の新年イベントに参加し、俺は父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)へ行った。

 こんな家族の状況でも、町内会の行事に最低限は参加しなければならないので、二手に分かれたということだ。

 父親は部屋のベッドで、少し横向きの仰向けになっていて、俺は、いつもの面会のように父親と午前中を過ごした。


 その日の夕方、俺が家で風呂掃除をしていると、特養から家に電話があって、公民館から帰っていた母親が対応すると、父親が吐いたが、その後は点滴して、おちついているという話だった。


 ところが夜になって、また特養から電話があって、父親が吐血したから(特養と)提携している総合病院に連れて行くが、緊急事態だし、おちついても入院になると思うので、家族にも病院に来てほしいとのこと。

 俺も母親も、父親が1年少し前に皮膚細菌感染症で入院したこの総合病院に、もう二度と入院させたくなかったが(平成27年-秋-(20)これまで、これから12-(2) など参照)、血を吐いて緊急事態ということなので仕方なく了承して…

 俺は、母親に留守番と(俺の)弟への連絡を頼むと、一人で代車(平成28~29年-冬-(22) 参照)を運転して病院に向かった。


 俺が病院に着いてほどなく、父親が救急車(にストレッチャー)で運ばれてきて、(特養を含む介護)施設の看護師さんが付き添っていた。

 その看護師さんは、父親の入院にとりあえず必要な衣類などと、父親が飲んでいる薬を持ってきて病院のスタッフに渡したのだが、大量のフェロミア(平成28年-夏-(15) 参照)の粉薬(の包数)に俺は驚いた。

 救急の部屋のベッド上で父親は、当直の医師(整形外科医らしい)の診察を受けて、もうおちついているし、吐いたのも真っ赤(大量・新鮮な出血であることを示すようだ)ではなく茶色なので、今すぐどうこうということはないだろう、という医師の診断だった。


 父親は点滴が始まると、再びストレッチャーに乗せられ、病院の看護師が入院病棟に連れて行くとのことで、俺と施設の看護師さんも同行した。

 その病棟の病室で、父親がベッドに移されると、俺は、父親の荷物を横にある棚に入れたり小さなテーブルに置いたりしてから、最低限の入院手続をした。

 施設の看護師さんが帰り、俺も、時々咳をするものの吐く気配は見られない父親に声をかけてから、帰った。

 俺が家に着いた時は、深夜になっていた…



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平成28~29年-冬