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2013/01/25.Fri

平成24年-秋-(31) 美術リハビリ教室、身体の痛み

 平成24年(2012年)の11月中旬…

 俺は今月も、月1回の美術リハビリ教室に参加した。

 今回の俺以外の参加者は、自家用車で1時間くらいかけて来て毎回参加している若年性認知症の人とその奥さん、そして…

 会場の福祉施設にある(高齢者・老年性認知症の人向け)デイサービスの利用者の中から1人のおばあちゃんで、先生を入れても4人だけなので、少し寂しい感じがした。


 父親が入居している特養(特別養護老人ホーム)から、父親の先月分の請求書や生活記録が家に届いた。

 10月中の父親は、大きな変化はなく、おちついて過ごしていたようだ。


 いつものように俺が自家用車を運転して母親と一緒に、特養(特別養護老人ホーム、父親のところとは別)に入居している祖母に会いに行ったら…

 あいかわらず部屋のベッドに寝たきりで、胃ろうの食事中だった。

 祖母に声をかけると、少しだけ目を開けてくれたが、息が荒い。

 ほどなくスタッフさんが来てくれて、その時にはもう、祖母の呼吸はおちついていた。

 スタッフさんに祖母の近況を尋ねると、風邪をひくこともなく体調はおちついているが、やや痰がからみやすいようだ。


 この時期の俺は、(長年の父親の介護でひどくなった椎間板ヘルニアによる)腰痛と坐骨神経痛が何度も強くなり、本当につらかった…



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平成24年-秋
2013/01/23.Wed

平成24年-秋-(30) 父親のCT結果

 俺と母親は、特養(特別養護老人ホーム)に入居している父親との面会の後…

 神経内科医による父親の診察・頭部CT検査(平成24年-秋-(15) 参照)の結果について、特養の医務室で外科の嘱託医の先生から説明を受ける日があった。

 神経内科の先生との予定が合わず、その先生から直接説明を受けることはできなかった。


 父親のパーキンソン症状については、「パーキンソン病」ではなく、「脳萎縮からきているパーキンソン症状(症候群)」という診断だった。

 脳の問題からパーキンソン症状が出ているなら「パーキンソン病」ではないか、と俺は思うのだが、厳密には違うらしい。


 認知症については、脳のCT結果で、前頭部と側頭部の萎縮が特に強いことから、「前頭側頭型(ピック病、FTD)」と診断された。

 ただ、海馬(から)の萎縮などアルツハイマーの特徴もあるので、これまでの精神科の先生たちによる「若年性アルツハイマー病(型)」という診断を変えるわけではなく…

 「若年性アルツハイマー型でもあり前頭側頭型でもある」ということになるそうだ。

 俺としては、これについては以前から思っていた通りなので(平成21~22年-冬-(7) 参照)、ある意味スッキリした。

 「薬や介護はこれまで通りで良いそうだし、介護が一番大事だね」という先生の言葉で、説明は終わった。



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平成24年-秋
2013/01/22.Tue

平成24年-秋-(29) 郷土料理を食べるイベント

 平成24年(2012年)の11月上旬…

 あいかわらず俺と母親は週2回くらい、特養(特別養護老人ホーム)に入居している父親に会いに行っている。

 面会した時の父親は、目ヤニが固まっていることが多く、そんな時は俺が慎重に拭き取った。

 身体の横への傾きが大きかったり(片方の脇腹の拘縮、背骨の湾曲)、手の震えが強かったりすることがあった。

 立位や歩行が非常に不安定で介助が大変なのは、いつものことだ。

 父親の部屋で、父親が好きな(かつて好きだった)歌をCDで聞かせたり、そういう歌が入っている音楽番組のDVDを見せたりしたら…

 歌に合わせてハミングのような発声をすることもあった。

 若年性アルツハイマーによる失語症状があるので、逆に言えば、そのハミングくらいの発声しかできず、コミュニケーションをとるのが困難だ。

 ヘアカットしてもらった翌日くらいに面会した時が、髪が短くなってスッキリしたのか、この時期では最も機嫌が良いように見えた。


 この時期に特養で、昼食時に共同スペースで入居者とその家族が一緒に郷土料理を食べるというイベントがあり、俺と母親は、父親との面会がてら参加した。

 もちろん、すべての入居者がその郷土料理を共同スペースで食べられる訳ではないし、参加した家族も多くはなかった。

 約2か月前の敬老祝賀会後の昼食(平成24年-秋-(9) 参照)もそうだったが…

 父親の食事と服薬は俺と母親が介助することになり、それ自体も大変だが、並行して自分たちの分を食べることも大変だ。

 しかし今回は、父親の分が最初から一口サイズ切りになっていたので、その点は助かった。



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平成24年-秋
2013/01/21.Mon

平成24年-秋-(28) 俺が役員?

 …前(下)の記事~ 平成24年-秋-(27) ~の続きです。

 最後の全体集会で、この集会の主催者でもある家族会の責任者が急に俺のことを、「家族会の若年性認知症担当役員」と紹介した。

 そう言った責任者は、俺がそういう役員になることを、ちゃんと事情を話して断った相手だった(平成24年-秋-(10) 参照)。

 こういう集会を開いた以上、誰かが「若年性認知症担当役員」になっていなければ格好がつかないのは理解できるが…

 なぜ、そういう役員にならないことをはっきり断った俺なのか?

 もちろん、これについて俺に事前の話などは、全く無かった。

 俺はすぐに否定したかったが、俺が始めた若年性認知症支援NPOのことは、できたばかりで今ここで話せる段階にはない。

 俺がそういう役員ではないことのみを話せば、(家族会にかかわる人以外の)参加した人たちは家族会に対してだけではなく、俺にも不信感を持つだろう。

 俺は何も言えなかった…

 そして、この後にどうなるかをわかっていた。

 「若年性認知症担当役員」と呼ばれたからといって…

 俺が今回参加できなかった(若年性認知症の人の)家族だけの集会の内容や、家族に記入してもらったアンケート結果などの情報が、俺に届くことは、あるまい。

 家族会は、俺が「若年性認知症担当役員」として積極的に動くことを勝手に期待するだろうが…

 俺が始めたNPOのこと、そして父親と母親のことがある俺に、それは時間的、物理的にできない。

 そして家族会は、積極的に動かない俺を一方的に非難するようになるだろう。

 家族会に対して、勝手に「若年性認知症担当役員」にされたことに文句を言うなり、あらためて断るなりすれば…

 「この地域の若年性認知症の人とその家族を見捨てるのか」と、俺に責任転嫁してくるだろう。

 今なら俺は、始めたばかりの若年性認知症支援NPOの活動をやめて、この家族会の「若年性認知症担当役員」としてがんばることもできなくはないが…

 そうするのは、この地域の若年性認知症の人とその家族にとっても、俺にとっても自分の首を絞めることになる(平成24年-夏-(4) 参照)。

 俺としては一刻も早くNPO活動を軌道に乗せて、この地域の若年性認知症の人とその家族の不安や要望を、この認知症の家族会に替わって受け止められるようにするしかない…



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平成24年-秋
2013/01/20.Sun

平成24年-秋-(27) 分かれての集会

 …前(下)の記事~ 平成24年-秋-(26) ~の続きです。

 一緒に歌うなどもした全体集会の後、若年性認知症の本人だけ(運営スタッフや専門家がサポートにつく)、その家族だけと分かれて集会が行われた。

 本人は、こういう日時や場所が限定されたところに来られることからもわかるが、初期・軽度の人たちだ。

 もちろん、初期・軽度だとしても、むしろ身体が充分に動いて体力や筋力もある初期・軽度だからこそ見守りや配慮が大変である場合が多いことを、俺は知っている。

 分かれての集会の時は、本人の方に来てくれる運営スタッフや専門家が少なくて、俺はそちらにずっとついているしかなく…

 家族だけの(実際は運営スタッフや専門家がやたらと多くて、主役である家族が充分に発言できたか、家族どうしの交流ができたか疑問に思える)集会には全く参加できなかった。

 それでも何とか若年性認知症の本人とその家族の具体的な不安や要望を、いくつか聞くことができた。

 最初の全体集会で、ある介護家族は、「自分一人が家で介護するしかなく、自分が倒れたら…」という不安を語っていた。

 他の介護家族も、若年性認知症の本人が安心して・意欲を持って日常的に行けるところ・することが無く、家族にとっては安心・納得して本人に行ってもらえるところ・してもらうことが無いということで…

 今どうして良いかわからず、先の見通しも全く立たず、本当に困っていて、精神的に参ってもいるそうだ。

 今は本人が初期・軽度でなんとかなっている介護家族も、先のことには大きな不安を持っているようだ。


 本人だけの集会で、今困っていることを話してもらったら、そのうちの一人は…

 車が運転できなくなって(危ないから、ということで運転をさせてもらえないらしい)、なかなか外出する機会がない、ということを話した。

 この地域は自家用車を運転できないと本当に不便なところだから、そうなってしまうのだろう。

 他にも、行くところが無い、することが無い、ひきこもりのようになっている、といった内容の発言があった。


 次の記事に続きます…



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平成24年-秋
2013/01/19.Sat

平成24年-秋-(26) 若年性認知症の人と家族の集会

 俺が(一応)会員になっている、この地域の認知症の家族会の主催で、若年性認知症の人と家族の集会が開かれた。

 若年性認知症の本人とその家族、家族会の責任者と運営スタッフとして参加した役員や会員、医療・看護・介護・福祉の専門家など合わせて30人くらいになった。

 俺は、家族会の運営手伝いスタッフとして参加したのだが、予想より参加者がずっと多かったこともあり、準備からてんやわんやだった。


 開始時刻になって、最初の全体集会が始まった。

 主催者である家族会の責任者の挨拶の後、この地域が担当範囲に含まれる認知症疾患医療センターの人から、次のような説明があった。

 この地域に若年性認知症専門のデイサービスは、今のところ無い。

 ただし、高齢者・老年性認知症の人向けのデイサービスの中には、若年性認知症の人を介護スタッフと一緒に働くボランティアという形で受け入れるところがあって…

 ボランティア報酬が出ることもあるので、ぜひ検討してほしい、とのこと。


 それを聞いた俺は、「若年性認知症の本人の前で話すことか?」と思うと同時に、「介護の現場と若年性認知症の現実を知らない人の発言・発想だな」とも思った。

 この地域に限らないと思うが、どこのデイサービスも人手はギリギリで、利用している高齢者・老年性認知症の人たちの普段の対応に常に追われ、緊急の対応も発生する。

 そのような状況では、若年性認知症の人を補助・ボランティアという形で(実際はデイサービス利用者として)受け入れて…

 スタッフがその人の能力やペースに合わせて業務を行うことは、まず不可能だ。

 可能だとしても、スタッフたちの負担は相当重くなるし、若年性認知症の人を受け入れるのは一人が限界だろうから…

 自分と同じような人がいない若年性認知症の人は、常に孤立感と隣り合わせになる。

 それに受け入れた後、ボランティアとして(本人の能力やペースに合う形で)働けなかった場合、そして…

 (多くのタイプの認知症は症状が進行してしまう、作業ができなくなっていくから)働けなくなった場合のことは、ちゃんと考えられているのだろうか?

 働けなかったら、働けなくなったら80歳、90歳の人たちと趣味活動をするしかないのでは? そのような過ごし方が合わない、あるいは嫌ならそこに居られなくなるのか?


 次の記事に続きます…



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平成24年-秋
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